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一から学ぶ ほつまつたえ講座 第205回 [2024.x.x]

第三八巻 ヒシロの代 クマソ打つ文 (5)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 景行天皇ー1-5

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 ひしろのよくまそうつあや (その5)
 ヒシロの代 クマソ打つ文 https://gejirin.com/hotuma38.html
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 ねつきにいたる かりみやは ひうかたかやそ
 しはすゐか くまそおはかり みことのり
 われきくくまそ ゑあつかや おとせかやとて ひとのかみ
 もろおあつめて たけるとす ほこさきあたる ものあらす

―――――――――――――――――――――――――――――
 十一月に到る 仮宮は “日向高屋” ぞ
 十二月五日 クマソを諮り 御言宣
 「我聞くクマソ 兄アツカヤ 弟セカヤとて 人の頭
 諸を集めて 長とす 矛先当たる 者あらず」

―――――――――――――――――――――――――――――

仮宮 (かりみや)

■日向高屋 (ひうがたかや)
その 仮宮 の呼称です。 ▶日向 ▶高屋
場所については、都於郡(とのこおり)高屋神社 とも、
宮崎県宮崎市の 高屋神社 ともいわれ、多数の伝承地が存在します。


クマソ (曲襲)
 
■アツカヤ ■セカヤ
クマソを統率する2人の長の名です。
日本書紀にはそれぞれ 厚鹿文(あつかや)乍鹿文(さかや) と記されます。

 兄アツカヤ/弟セカヤの “兄弟” は、「上下・甲乙」 が原義で、
 神武東征時の 兄ウガシ/弟ウガシ、兄シキ/弟シキ と同じパターンです。
 これは 江戸時代の町奉行所の当番制のように、2人の長を置いて、
 期間を決めて交互に治めさせていたことを示すものと思われます。
 この制度は 太古、ヱの尊とトの尊が交代で国を治めたことに起源を持ち、
 多くの場合、実際に本当の兄弟(きょうだい)を任じたと考えています。

  ミナカヌシ 地球八方に 万子生み 果つにヲウミの 兄弟の子の
  兄御子(ヱの尊) 上に継ぎ ヲウミ治す 弟御子(トの尊)の統む
  ト下国 百ハカリ後 トの尊 ヱに受け治む
  これよりぞ 代わる代わりに 治を継ぎて
 〈ミ6-3〉

ゆえに 兄アツカヤ/弟セカヤは、もともとは 御上が任命した正規の県主だったと思われます。
この2人が謀反を起して占領した襲の県、これを “クマソ” と呼んでいるのでしょう。


人の頭 (ひとのかみ)
この場合は 「謀反を起した襲の県主」、つまり 「兄アツカヤと弟セカヤ」 を指します。


■長 (たける)
タク(長く) の連体形の タケル(長ける) が名詞化したものです。
「長けた者」 を意味し、「長(をさ)・主・司・守」 などの換言です。

 

【概意】
(景行12年)11月に到る仮宮は “日向高屋” ぞ。
12月5日、クマソを議り御言宣。
「我が聞くにクマソとは、兄アツカヤと弟セカヤ という人の頭。
諸衆を統べて自らを長となし、その矛先に立ち向かう者あらず。」



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 ささひととかす さはなれは
 たみのいたみそ ほこからす むけんとあれは
 とみひとり すすみていわく

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 「ささ人と数 多なれば
 民の傷みぞ 矛 駆らず 平けん」
 とあれば 臣一人 進みて曰く

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■ささ (然然)
サウサウ(然う然う) の短縮形です。「それなりに・かなり・だいぶ」 などの意を表します。


■人と数 (ひととかず)
今風に言えば 人数(にんずう) でしょう。
この場合、ヒト(人) は ヒトクサ(人草) の “人” で、「臣・彦・民の司」 をいいます。
この場合は 「アツカヤとセカヤの部下として民を治めている臣たち」 です。


多 (さは・さわ)
サワグ(騒ぐ) の母動詞 “サフ” の名詞形で、「高まり・栄え・活発」 などを原義とし、
「多いさま・たくさん」 を意味します。


■民の傷みぞ (たみのいたみぞ)
武力戦闘で民の司たちを殺せば、「民の不利益となる」 ということです。


■矛駆らず平けん (ほこからずむけん)
「矛(=武力)を駆使せず平定しよう」 という意です。

 

【概意】
「それなりに人数が多いゆえ〈武力戦闘となれば〉
民の不利益が大きくなる。武力を駆使せずに平定せん」 と仰せば、
一人の臣が進み出て曰く、



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 くまそには ふかやとへかや ふたむすめ
 きらきらしくも いさめるお
 おもきひきてに めしいれて ひまおうかかひ とりこにす
 ときにすへらき よからんと きぬにあさむく ふたむすめ
 めしてみもとに めくみなす

―――――――――――――――――――――――――――――
 「クマソには フカヤとヘカヤ 二娘
 きらきらしくも 勇めるを
 重き引手に 召し入れて 隙を窺ひ 虜にす」
 時に皇 「良からん」 と 衣に欺く 二娘
 召して御許に 恵みなす

―――――――――――――――――――――――――――――
 
■フカヤ ■ヘカヤ
アツカヤ の2人の娘です。
日本書紀にはそれぞれ 市乾鹿文(いちふかや)市鹿文(いちかや) と記されます。


きらきらし (煌煌し)
キラ(煌) は キル(鑽る) の名詞形で、「光り輝くさま」 をいいます。

 きる【鑽る】〈広辞苑〉
 金と石と、木と木となどを烈しく打ち合せ、また、すって発火させる。火を打ち出す。


■勇める (いさめる)
イサム(勇む) の連体形で、「勇猛である」 という意です。


引手 (ひきで)

■虜 (とりこ)
トリコミ(取り込み・取り籠み) の略で、「取り込んだもの・取り込まれたもの」 をいいます。


衣 (きぬ)
“引手” の具体的な品で、「着物・衣装」 をいいます。
田舎では手に入らないような美麗な衣装で、2娘を釣る計画です。


■御許 (みもと)
「尊き所・天皇のそば」 を意味します。

 

【概意】
「クマソにはフカヤとヘカヤという、美しくも勇猛な二娘があり、
これを貴重な引手物で引き寄せ、隙を窺ってこちら側に取り込むべし。」 
時に皇は 「良かろう」 と、衣にあざむく2娘を 御傍に召して恵みなす。



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 あねのふかやか もふさくは きみなうれひそ はからんと
 つわものつれて やにかえり さけおあたたに のましむる
 ちちのみゑひて ふすときに ちちかゆんつる きりおきて
 ちちあつかやお ころさしむ

―――――――――――――――――――――――――――――
 姉のフカヤが 申さくは 「君な憂ひそ 計らん」 と
 つわもの連れて 屋に帰り 酒をあたたに 飲ましむる
 父 飲み酔ひて 臥す時に 父が弓弦 切り置きて
 父アツカヤを 殺さしむ

―――――――――――――――――――――――――――――

つわもの・つはもの (鍔者・兵)

■あたた・あただ
アタタカ(暖か・温か) の “アタタ” と同じで、
「上がるさま・高まるさま・勢いづくさま」 が原義です。
ここでは 「たくさん・うんと」 などの意です。

 あただ 〈広辞苑〉
 [副] 程度のはなはだしいことにいう。
 1.大変。非常に。
 2.にわかに。不意に。


酔ふ (ゑふ)

 

【概意】
姉のフカヤが申さくは、「君 心配いらない、策を考える」 と、
兵を連れて家に帰り、酒を父にうんと飲ませる。
父が酔って横になった時に、父の弓の弦を切って置き、
<待機する兵に> 父アツカヤを殺させた。



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 すへらきあねか しむたつお にくみころして
 おとへかや そのくにつこと 
 おちのこの とりいしかやと ちなませて 

―――――――――――――――――――――――――――――
 皇 姉が シム絶つを 憎み殺して
 妹ヘカヤ 襲の国造と
 叔父の子の トリイシカヤと 因ませて

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■シム絶つ (しむたつ)
シム(▽親) は ここでは 「親族・肉親」 を意味します。
ですから 「肉親の命を絶つ」 という意です。


■襲の国造 (そのくにつこ)
天皇はこの時に、曽於国 に属していた 襲の県 を、「襲の国」 として独立させたようです。
アツカヤ のもう1人の娘 ヘカヤ と、 セカヤ の子の トリイシカヤ を婚姻で結んで、
襲の国の 初代国造 とします。 ▶国造
なお 日本書紀は 襲の国 ではなく、“火の国造を賜ふ” と記しています。

 クマソを率いる アツカヤ と セカヤ を処罰し、その子らを新たな地守に任じるという
 この処置からも、アツカヤとセカヤは 元々は正規の 襲の県主 だったことが窺えます。


■トリイシカヤ
セカヤ の息子です。
天皇の取り成しにより ヘカヤ と結婚し、実質的に 襲の国造 となります。
日本書紀には 取石鹿文(とりしかや) と記されます。

 ┌アツカヤ(没)──┬フカヤ(没)
 │        │
 │        └ヘカヤ
 │          ┃
 └セカヤ─────トリイシカヤ(襲の国造)
 

 余談ですが、クマソの人々の名は、みんな末尾が “カヤ” です。
 カヤ は カレ(▽曲・枯)、クマ(▽曲・隈) の同義語と考えています。


因む (ちなむ)

 

【概意】
皇は、姉フカヤが肉親の命を絶ったことを憎んで これを殺し、
妹ヘカヤを、叔父セカヤの子のトリイシカヤと結婚させて、
これを襲の国造となし、



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 つくしむけんと むとせまて たかやのみやに おわします
 みはかせひめお うちさまに とよくにわけの をみこうむ
 ははこととまり くにつこや

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 筑紫平けんと 六年まで 高屋の宮に 御座します
 ミハカセ姫を 内さまに トヨクニワケの 親王生む
 母子留まり 国造や

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■高屋の宮 (たかやのみや)
天皇が仮宮とする 「日向高屋」 と同じです。


■ミハカセ姫 (みはかせひめ)
曽於タケ(曽於の国造)の娘、タケ姫の姉妹です。
景行天皇が日向高屋滞在中に召して后とし、トヨクニワケを生みます。
姉妹のタケ姫は 都の皇宮に上ったようですが、ミハカセ姫はそのまま
日向に留まります。
日本書紀は 御刀媛(みはかしひめ) と記します。


■内さま (うちさま)
ウチ(内)は、ここでは 「中位」 を意味します。
サマは サエ(▽支え)・ソエ(添え) の変態で、「添う者・侍」 をいいます。
ですから ウチメ(内侍) と同じ意味の称号ですが、次で述べられるように、
ミカハセ姫は都の皇宮に侍らず 日向に留まった、いわば "現地妻" で
あるため、表現を変えていると考えられます。


■トヨクニワケ/トヨクニ/トヨクワケ
ミハカセ姫が生んだ景行天皇の18男で、斎名はソヲヒトです。
日本書紀は 豊国別皇子(とよくにわけのみこ) と記します。

 また曽於の ミハカセ生む子 トヨクニの 斎名ソヲヒト 日向君
                          〈38アヤー2〉

イクメイリヒコ─┐
(垂仁天皇)  ├─ヤマトヲシロワケ(景行天皇)
ヒハス姫────┘     ┃
              ┃         ┌ (1)ヲウス
キビツヒコ─────イナヒヲイラツ姫[内宮1] ──┴ (2)オウス
              ┃
ヤサカイリヒコ───ヤサカイリ姫[美濃内侍]───┬ (3)ワカタリヒコ
              ┃[→典侍→内宮2]  ├ (4)ヰモキヒコ
              ┃         ├ (5)ヲシワケ
              ┃         ├ (6)ワカヤマトネ
              ┃         ├ (7)オオスワケ
              ┃         ├ (8)ヌノシ姫
              ┃         ├ (9)ヌナキ姫
              ┃         ├(10)カノコヨリ姫
              ┃         ├(11)ヰモキ姫
              ┃         ├(12)ヰソサチヒコ
              ┃         ├(13)キビヱヒコ
              ┃         ├(14)タカキ姫
              ┃         └(15)オト姫
              ┃
イワツクワケ────ミヅハイラツメ[ミオの典侍]──(16)ヰモノ姫クスコ
              ┃
ニシキイリヒコ───ヰカワ姫[典侍]───────┬(17)カンクシ
              ┃         └(18)ヰナセヒコ
              ┃
アベコゴト─────タカタ姫[内侍]────────(19)タケコワケ
              ┃
曽於タケ────┬─タケ姫[内侍]────────┬(20)クニコリワケ
        │     ┃         ├(21)クニチワケ
        │     ┃         ├(22)ミヤチワケ
        │     ┃         └(23)トヨトワケ
        │     ┃
        └─ミハカセ姫[内さま]──────(25)トヨクニワケ
              ┃
日向カミナガ────ヲタネ姫[乙下]────────(24)ヒウガソツヒコ

                            ほか総勢81人


■親王 (をみこ)
ヲ(大・▽上)+ミコ(御子) で、「皇の子女の内で上位にある子」 をいい、
アコ(▽上子・▽太子)、アミコ(▽上御子・▽太子) とも呼ばれます。
この時代には、その身分を示す称号となっているようです。
なお成人後は ヲキミ(▽親王) と呼ばれます。

 ヲヲウスおよび ヤマトタケ ヰモキイリヒコ ヰモノ姫
 ワカタラシヒコ トヨクワケ 六人'親王'の 名を帯ぶる 〈38アヤー2〉

【親王】しんのう  (広辞苑)
 1.律令制で、天皇の兄弟・皇子。のち親王宣下のあった皇族に限る。
 2.現在の皇室典範で、嫡出の皇子および嫡男系嫡出の皇孫の男子の称号
   (女子は内親王)。


■国造 (くにつこ)
日向も曽於国に属する一県でしたが、ここにトヨクニワケ親王を
国造に立てて、"日向国" として独立させたようです。

 

【概意】
九州を平定しようと、高屋の仮宮におわしますこと6年に及ぶ。
(その間に) ミハカセ姫を内さまとなし、トヨクニワケの親王を生む。
母子は(日向に)留まり、親王は日向の国造となる。



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 そなやよひそふ こゆかたの にものにみゆき
 きおのそみ むかしおほして のたまふは
 みをやあまきみ たかちほの みねにのほりて ひのやまの
 あさひにいなみ つまむかひ かみしもめくむ かみとなる

―――――――――――――――――――――――――――――
 十七年三月十二日 コユ県の ニモノに御幸
 東を望み 昔 思して 宣給ふは
 「御祖天君 高千穂の 峰に登りて 日の山の
 朝日に辞み 妻 向ひ 上下恵む 神となる」

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■コユ県 (こゆがた)
現在の 「宮崎県児湯(こゆ)郡」 です。
日本書紀は 子湯県(こゆのあがた) と記します。
コユは コユ(越ゆ)の名詞形で、天皇が 「お越しになった所」 を意味する
後付けの名と考えます。


■ニモノ (▽乳野)
マ行の音とハ行の音は交換可能なため、ニモノ=ニホノ となり、
ニホは 今に言う "ニュウ(乳)" で、ノは 「野」 と考えます。
ですから 「乳形(円錐形)の高野/高台/丘」 をいうと考えています。

【にお】ニホ  (広辞苑)
 (東北・中部地方で) 刈稲を円錐形に高く積み上げたもの。にゅう。

日本書紀は 丹裳小野(にものをの) と記します。
場所は不明ですが、ニニキネ(別雷神)を祀る社/祠があるはずで、
そうすると西都市の三宅神社周辺である可能性があります。

 三宅神社 (みやけじんじゃ)
 宮崎県西都市大字三宅3343。
 現在の祭神:邇々杵命
 ・旧称を覆野大神宮、福(覆)野八幡宮、覆(野)神社と称した。


■御祖天君 (みをやあまきみ)
ここでは アマテルがウガヤフキアワセズに授けた尊称ではなく、
「御祖の天君・先祖である天君」 の意で、最初に天君の称号を授かった
ニニキネ(=ワケイカツチの天君)を指します。

 ★天君 (あまきみ)
 「天神(=アメトコタチ)の神霊が顕現した君」 という意味です。
 この称号はアマテルが認定して授与しますが、ニニキネに賜った
 "ワケイカツチの天君" がその最初です。次にヒコホオデミに賜った
 "御祖に継がふ天君"、そしてウガヤフキアワセズに賜った "御祖天君" が
 最後のものとなりました。


■高千穂 (たかちほ)
タカ(高)+チホ(▽頂) で、「高み・頂・高嶺」 を意味する普通名詞です。
チホは 今に言うチョウ(頂)です。
この高千穂は、「霧島連山の高千穂」 をいうように思います。

 霧島神宮 (きりしまじんぐう)
 鹿児島県霧島市霧島田口。 
 現在の祭神:天饒石國饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊


■日の山 (ひのやま)
ハラミ山(=富士山)の別名です。
ニニキネの妻のアシツ姫(=コノハナサクヤ姫)は、この山の頂峰である
ヰツアサマ峰に隠れて世を去っています。


■朝日に辞む (あさひにいなむ)
「朝日の昇る時に世を辞する・日の出に世を去る」 の意に解しています。


■妻向ひ (つまむかひ)
「妻のいる方(=日の山の方向・日の出の方向)を向いて」 という意です。
"妻は" ニニキネの内宮 「アシツ姫/コノハナサクヤ姫」 を指します。

 この時にアシツ姫が存命しているのか、すでに帰天しているのか、
 定かではないのですが、存命ならハラミ山麓のハラアサマ宮にいますし、
 世を去っているなら、アサマ神としてハラミ山に纏られているはずです。


■上下恵む神 (かみしもめぐむかみ)
"上下" は、天地創造の時に 軽く上って天となった 「陽」 と、重く下って
地となった 「陰」 を意味します。上下=陽陰 です。さらにこの場合は、
陽から派生した 「火」 と、陰から派生した 「水」 を意味します。
したがって 上下=陽陰=火と水=光と雨 です。
ですから "上下恵む神" は 「火と水(光と雨)を恵む神」 という意です。

アマテルは "雷を分解して火と水の神を生む君" と、ニニキネを称えて
「ワケイカツチ(別雷)」 の名を授けるわけですが、
"上下恵む神=火と水を恵む神" は それを言い換えたものです。

 粗地を活けて 鳴神を 別けて鎮むる カグツチと ミヅハメを生む
 葵葉と 桂に妹背の 御言宣
 「陽陰は振り照り 全きは 雷別けて 神を生む これトコタチの
 更の稜威」 "ワケイカツチの 天君" と ヲシテ賜わる 〈24アヤー9〉

 

【概意】
景行17年3月12日、コユ県の円錐形の高台に御幸され、
東を望み、昔のことを思って宣給うには、
「御祖の天君(=ニニキネ)は、
高千穂の峰に登って、日の山に昇る朝日と共に世を辞み、
妻の方を向いて、上下(火と水/光と雨)を恵む神となる。」

 ニニキネが世を辞む時のことは 26アヤでは次のように語られています。

 カメに乗り行く カゴシマや ソヲ高千穂の 日に辞む
 朝はアサマの 日に向ふ 日向ふ国と ホツマ国
 姫はアサマに 辞む月 高千峰に入り 神となる
 "アサマの神" や "コヤス神"
 兼ねて合う日の 逸の尊 "高千穂の峰の 神" となる
 鳴神別けて 土活かす "ワケイカツチの 皇神"     〈26アヤ-4〉



―――――――――――――――――――――――――――――
 くにのなもこれ かはかみの あまねくてらす
 もはしもの あおひとくさお めくまんと
 なるかみのあめ よきほとに わけてみそろの うるほひに
 たみにきはせる いさおしは かもわけつちの かんこころ

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 「国の名もこれ ‘カ’ は上の あまねく照らす
 ‘モ’ は下の 青人草を 恵まんと
 鳴神の雨 良き程に 分けて 実揃の 潤ひに
 民 賑わせる 功は カモワケツチの 神心」

―――――――――――――――――――――――――――――

■国の名もこれ (くにのなもこれ)
"国の名" は、ニニキネが開拓し、帰天後はその神霊が纏られる
「カモ(賀茂)の地」 をいいます。
"これ" とは 「カミシモ(上下)」 を指します。
ですから 「カモの地の名も "上下" の意である」 という意味です。
つまり 「カモはカミシモ(上下)の略である」 ということです。


■"カ" は上のあまねく照らす (かはかみのあまねくてらす)
「"カ" は 上(陽=火=光/日)があまねく照らす」 という意で、
つまり 「カモの "カ" は 日の光が公平に地を照らすことを表す」
ということです。


■"モ" は下の (もはしもの)
モは シモ(下)の略で、「下=陰=水/雨」 を意味します。
ここでは "青人草" と、"雨" にかかります。


■実揃の潤ひ (みそろのうるほひ)
ミソロ(▽実揃)は 「実が揃うこと・みのること・成果」 などを表します。
ですから 「実りが増えること・成果潤沢・収穫増大」 などの意です。


■カモワケツチ
"カモワケ" と "ワケツチ" を合せたもので、
カモワケ(▽上下分け)は 「雷を火と水に分けること」 をいいます。
ワケツチ(分け土)は 「土を分けること」 を意味します。
したがってこれは "ワケイカツチ" を言い換えた表現です。

 ★ワケイカツチ (別雷/▽分活土)
 二重の意味があります。
 一つは "別雷" で、「雷を分解して火と水の神を生む」 ことをいいます。
 もう一つは "分活土" で、「土を分けて地を活かす」 という意です。
 これは 川や池を掘りその土を積み上げて山を造るという、ニニキネの
 壮大な土木事業を称えるものです。


■神心 (かんごころ)
ココロ(心)は 「中心・本質・髄」 などが原意です。
ですから 「神の本質・神の真骨頂・神髄」 などの意となります。

 

【概意】
「カモ(賀茂)の国の名もこれ。
"カ" は 日の光があまねく地を照らすこと。
"モ" は 下層の民を恵もうと、鳴神(=雷)の雨をほどよく分配すること。
こうして成果を潤して民を賑わせる功績こそ、カモワケツチの神髄。」



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 かくそおほして かみまつり みやこのそらお なかむみうたに
―――――――――――――――――――――――――――――――
 かくぞ仰して 神 祭り 都の空を 眺む御歌に
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【概意】
このように仰ってワケイカツチの神を祭り、都の空を眺めての御歌に、



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 はしきよし わきへのかたゆ くもいたち
 くもはやまとの くにのまほ またたなひくは
 あおかきの やまもこもれる やましろは いのちのまそよ
 けむひせは たたみこおもえ
 くのやまの しらかしかゑお うすにさせこのこ

―――――――――――――――――――――――――――――
『はしきよし わきべの方ゆ 雲 出立ち
 雲は大和の 国のまほ 復たなびくは
 あおかきの 山も籠れる 山しろは 命のまそよ
 煙火せば ただ御子 思え
 クノ山の 白橿が枝を 髻華に挿せ コノ子』

―――――――――――――――――――――――――――――

■はしきよし
ハシ(▽栄し・▽芳し)+キヨシ(清し) の連結で、
「心麗しく清々しい」 というような意です。
"はしきやし" とも言います。辞書は "愛しきよし" と宛てます。


■わきべ (▽別辺)
ワキ(▽別)+ベ(辺) で、「別れてきた所」 の意に解しています。
つまり 旅先にある者が 「故郷」 をいう言葉です。
辞書は "我家" と宛て、「ワガイヘの約」 と説明します。

【我家】わぎへ (広辞苑)
 (ワガイヘの約) 自分の家。


■ゆ
助詞の 「より」 「から」 と同じです。
https://dictionary.goo.ne.jp/jn/223554/meaning/m0u/%E3%82%86/


■出立つ (いたつ)
イツ(出づ)+タツ(立つ) の短縮で、イデタツ(出で立つ)と同じです。


■大和の国のまほ (やまとのくにのまほ)
マホは マボロシ(幻)と同じで、「合わせ・似せ・写し・鏡・影」 などを
意味します。ですから 「大和の国の写し・大和の国の鏡」 という意です。
"大和の国" は 景行天皇の都を置く国で、"わきべ" と同じです。


■復たなびく (またたなびく)
マタ(又・亦・復)は 「繰り返すさま」 を表します。
タナビク(棚引く)は 「連なり続く」 ことをいいます。


■あおかきの山 (あおかきのやま:▽汚穢垣の山)
「ミモロ山」 の別名です。
景行天皇の都のマキムキヒシロ宮は、この山の麓にあります。

 ★あおかき (▽汚穢垣)
 アオはヲヱ(汚穢)の変態ですから、「汚穢の垣=ヤヱガキ」 です。
 アマテルが "皇のヤヱガキの翁" と称えた クシヒコの神霊が鎮まって
 世の曲りを見守る ミモロ山の別名が "あおかき山" です。

 ・生れ素直に 和道の教えに敵う 皇のヤヱガキの翁   〈23アヤー7〉
 ・ミモロの山に洞掘りて 和の逆矛 放けながら 入りて静かに時を待つ
                            〈23アヤー8〉


■籠れる (こもれる)
コモル(籠る)の連体形です。
ここでは 「生い茂る木々に覆われる」 という意です。


■山しろ (やましろ)
シロは ソロ(▽揃)の変態で、「揃うさま・満ち足りるさま・茂るさま」 を
意味します。ですから 「山が茂るさま」 を表し、"籠れる山" の換言です。
またここでは "山" を 「人の頭部」 になぞらえています。


■まそ (真十・真澄)
マス(▽和す)の名詞形で、マサ(正)の変態です。
「合わせ・写し・比べ・鏡」 を意味します。
"命のまそ" は 「命の写し/鏡・生命力の反映」 という意です。


■煙火す (けむひす)
「火を焚いて煙を起す」 の意で、「食事の煮炊き」 をいうと思われます。

 煮炊きの"煙" と 故郷の方から出立つ "雲" を重ね合せて、
 故郷にいる子供たちを思い起しています。


■クノ山 (くのやま)
"コノ山(▽熟山)" の変態で、本来はハラミ山の別名の一つですが、
ここではハラミ山をコピーして造った、大和国の 「香具山」 を指します。

 ★コノ山 (▽熟山)
 ハラミ山(=富士山) の別名の一つです。
 コノ(▽熟)は 「高まるさま・こなれたさま・至ったさま・極まり」
 などを意味し、コノシロ(▽熟鋭)の "コノ" と同じです。


■白橿 (しらかし)
木の一種ですが、これを 「しらかす=しらげる(精げる)」 の意を表す
モノザネとしています。
"しらげる" の シラ(▽精・▽鋭)は "山しろ" のシロと同じで、
「満ち足らせること・茂らすこと」 を意味します。


■髻華 (うず)
ウズは 「高み・頂・頭」 を意味すると考えていますが、
ここでは辞書の説明にゆだねます。

【髻華】うず  (広辞苑)
 古代、木の枝・葉・花や造花を、冠や髪にさして飾りとしたもの。かざし。


■コノ子 (このこ:▽愛子・▽好子)
この "コノ" は カナシ(愛し)の "カナ" の変態と考えて、
「愛しの子(たち)」 の意に解しています。

 

【概意】
『ああ清々しや。故郷の方から雲が出で立つ。
この雲は大和の国の鏡である。幾重にも連なって広がるは
ミモロの山も生い茂る木々に覆われていることを物語る。
山(頭)が茂ることは命の鏡である。
煮炊きの煙を見ると、ただちに子供たちのことが思われるが、
〈自分の山を茂らすために〉
香具山の白橿の枝を かんざしとして挿せ、愛しの子らよ。』


 日本書紀はこの御歌を次のように記しています。

 はしきよし わぎへのかたゆ くもゐたちくも
 やまとは くにのまほらま たたなづく あをかき
 やまこもれる やまとしうるはし
 いのちの まそけむひとは たたみこも
 へぐりのやまの しらかしがえを うずにさせ このこ

 

本日は以上です。それではまた!

 

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