皐月。
栄の月。颯月。
皐露月とも言う。
『中菅通る 陽の穂と 父母の穂と 陰を招き 三つの因みの 露
溢れ』14文
『五月は元の 一回り 息は二万六千 八百四十六 孕帯の意も 謹みよ』16文
『馬の定めは 目鼻より 尾骨へ八尺の連 立は五尺五寸法を 八月十五日 五月五日の』
『寿ぎの 典に掛けたは 怪しあり 喩え
二と九と 八つ五五の 割合考え 給ふべし』19-2文
『五月に両葉 和る露を 舐めんと蓬 菖蒲
噴く サツサはヰワタ 乗りは五五』ミ7文
『双葉に上る 皐露月 かつみの露や 乗り較べ 五五のツツタチ 女男の祝 ヰワタ
茅巻や』ミ9文
『埴・水 潤ふ 五月中 光
徹れば 傾守 道を返して 冷を乞えば 陰引を招き』ミ7文
『白道の 一陰を下して 地に伏せば 競ひ
昇りて 五月雨るる 青葉茂れば 永らえの 南の香り受く』ミ7文
『"ト"
は南に坐す 陰和神 三つの光の 地に徹り 冷の道
限る 五月中 一陰伏し置き 五月雨るる』ミ9文
『万の青葉の 風薫る 宮に受くれば 永らえり 陰は地に充てど 上
熱く』ミ9文
五月サの頃。
5月の最初の「サの日」の頃。「夏至」の日を指すように思う。 =端午・サツサ
ホツマ干支で言う「サシヱ」「サシト」「サヤヱ」「サヤト」「サミヱ」「サミト」「サアヱ」「サアト」「サウヱ」「サウト」「サナヱ」「サナト」の内、五月に最初に回って来る日を言う。
年によって異なるが、8日おきに廻って来るので、5月1日から5月9日の間ということになる。
これは妊娠過程において、仮に1月1日に受精したとすると、日霊と月霊の回転は日に1回転ずつ増してゆき、64日目 (3月4日) に延1,080となる。ここから逆に日に1回転ずつ減ってゆき、3月30日には1日あたりの回転数が39となり、この頃胎児の端 (頭・頸・胸・手・足) の見分けがつく。五月のサの頃に1日あたりの回転数が1に戻る。妊婦はこの頃に五腑の固めにサッサ孕帯を締める。
正確には回転数が1となるのは127日目。1月1日をキアヱとすると、5月の最初の「サの日」は7日となる(サシヱ)。また端午(たんご)
は、最初の午の日という意味で、ホツマヱトではサシヱにあたる。つまり日本の「五月のサの頃」と中国の「端午」は同じことを言っているのである。
【端午・端五】タンゴ −広辞苑より−
「端」は初めの意。もと中国で月の初めの午の日、のち「午」は「五」と音通などにより五月五日をいう。
★https://ja.wikipedia.org/wiki/端午
後漢末の応劭による『風俗通義』では端午と夏至にちまき(古代には角黍と称した)を食べる習慣が記録されている。また南朝梁の宗懍(そうりん)による『荊楚歳時記』には荊楚地方では夏至にちまきを食べるという記録が残される。この他に夏殷周代の暦法で夏至であったという説、呉越民族の竜トーテム崇拝に由来するという説、5月を「悪月」、5日を「悪日」とし、夏季の疾病予防に菖蒲を用いたという説も存在する。
『三月は三十九 端を備ふ 四月満つれば 充り遂す 五月サの頃 一回り サッサ孕帯 五腑成す』14文
『五月は元の 一回り 息は二万六千 八百四十六 孕帯の意も 謹みよ』16文
五月の十五日の春祝。
御田植祭。
ホオテミがツクシで開墾事業を行っていた頃、田植え後の五月の十五日に、ハヱ葉・ユツリ葉を稲穂の代りにウケ神に供え、稲育成の真似事(ほつま遊び)を行って、収穫の歌を歌うという祭をウサの県で始めたところ、トヨの国に広がり、またツクシ全土で流行るようになった。今でも新春に門松・ハヱ葉・ユツリ葉を飾るのはこれが本となっている。
【御田植祭】オタウヱマツリ −広辞苑より−
正月や田植の時期に稲の豊作を祈る神事。神田に苗を植える伊勢の御田植や大阪住吉神社の御田植神事の類。民間の年中行事としても行われ、田遊(たあそび)・田楽などの芸能を伴うものもある。<季・夏>
【田遊】タアソビ −広辞苑より−
稲の豊作を予祝する神事芸能。多く正月に行われ、老夫婦・田主(たあるじ)・早乙女(さおとめ)などに扮装した農民が、社寺の境内で、田打・代掻・田植・鳥追・刈上・倉入など、収穫までの行事を模擬的に演ずる。「あそび」は神楽(かぐら)の意。御田(おんだ)・春田打・田植祭とも。<季・新年>
『ウサの県に 流行らせて五月の十五日の 春祝 餅飯・ハヱ飾き』25文
『ウケ神に 祝ふ
穂長と 譲栄の ほつま遊びの 瑞穂歌 楽し賑わふ トヨの国 三十二の県 みな流行る』25文
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