カスガ

→ 語義
  

春日 (和直/上下)。

  1. アメノコヤネ (カスガ尊)

    『汝 ワカヒコ 一振に アマノコヤネと 名にし負え 賜ふヲシテは カスガ尊14文
     

      
  2. ヰチヂ (カスガ殿)
      
    『三月 カスガの 年老いて 政 休まん 理に』20文
      
      
  3. 春日国。
    霊還し
    の方法を開発したヰチヂが、アマテルから賜った県。御蓋山周辺。
      
    『"心地 明清" と 里の名も 翁が守も 賜われば』8文
    『仲をなさんと ヒタカミへ 使に応えて 帰りきき 共に上りて 中国の カスガに到り』16文
    アマノコヤネも カスガ国 飛日の丘に ヤマト川 掘りて造れる ミカサ山24文

      
      
  4. 春日県。
    神武天皇以降の大和国の春日県。添上。
    場所は3と同じで、ソフ(添)の一部ではないかと思われる。
      
    河内草香の アウヱモロ に軍 調ひて 龍田の道は 並び得ず』29文
    クシミカタマは オシクモと ナガスネ 討てば 逃げ行くを 追ひて河内に 留まりて』30文
    タケチノコリと アウヱモロ ヤマトソフに 防がしむ』30文
    『筑紫のタネコ 喪を治め 四神 祭りて アウヱモロ 河内を兼ねて治めしむ』30文
    春日 合ふ江の 守が女の イトオリ姫を 勾当に ミコナカ橋の ヲシテ守』31文
    『六十八年 一月十四日に オシヒトを 若宮となす 歳二十 翌日オシキネを 親君とし 春日を賜ふ』31文
      
      
  5. 春日県主チチハヤ
    春日親君 (アマタラシヒコクニ) の子と思われる。
      
    磯城オオメが ホソ姫を 春日 チチハヤが ヤマカ姫 なる 典侍后32文
    『ある日春日に 宣給ふは "この 絵を見れど 宛無で貴く これを棄つ"』
    32文
    春日申さく "峰に得る 御衣の紋草 千齢見かや 諸 食わんとて 煮て苦し 誰も得食わず"』32文

  6. 春日県主イチカワ
    アマタラシヒコクニ
    の七世孫で、ヒコクニフクの四世孫という。
      
    ニシキ御子 千剣移す 石上 神が春日の イチカワに 告げ納めしむ  ニシキ御子 司となせる』37文

  

  

カスガアガタ

  
春日県。 
神武天皇以降の大和国の春日県。 
ソフ(添)
の一部ではないかと思われる (添上)。
  

★現在の三輪近辺には春日の地名は残っていませんが、奈良県田原本町多の多神社が春日神社と呼ばれていて、多神社の一帯がその昔は春日県だったとされています。その春日県が十市県に変わったとかいうことが、多神社注進状という古文書に書かれているとのこと。ただし神社のある位置をその地域の中心と考えますと、春日県が十市県に変わったとき、その中心地が多神社付近から十市御県坐神社付近に移動したのかもしれません。直線で東西に約2kmの距離。
カヱシネ (5代孝昭天皇) アマタラシヒコクニ春日県(添上)を賜ったため、それまで春日県主をしていたアウヱモロに始まる一族に対しては、磯城県の一部か添県の一部を割いて新たに十市県を新設し、そこの県主に封じたのではないかと思われる。というのは、欠史八代といわれる時代は、皇の后は大和の県主の娘や孫を娶っているが、入れる局まで踏襲されており、春日県主の娘は常に勾当とされていたが、ヰサカヒコ以降、勾当となるのは十市県主の娘なのである。

  

■春日・十市県主

アウヱモロ──┬オホマ─────┬フトマワカ──┬サタヒコ──┐
       │         │              │            │
       ├イトオリ姫イトヰ姫イイヒ姫    │
       │                                              │
       └ヌナタケ姫                                    │
                                                              │
┌──────────────────────────────┘
├ヰサカヒコ──┬マソヲ─────マシタ姫
│              │
└オオヰ姫ヰサカ姫
※ヰサカヒコから十市県主に国替えになった様だ。
  
                    ┌イチシ
                    ├カキモト
                    ├オノ
                    ├アワタ
                    ├オオヤケ
カヱシネ(孝昭天皇)┐          │    ┌─オケツ──────┐
         ├┬アマタラシヒコクニチチハヤ┴─ヤマカ姫[典侍]  │
ヨソタリ姫────┘│ (春日親君)   │        ┃      │
          │         └オシ姫[内宮]  ┃      │
          │           ┃─オオヤマトフトニ    │
          └─────ヤマトタリヒコクニ  (孝霊天皇)    │
                   (孝安天皇)             │
  ┌─────────────────────────────────┘
  │
  ├──────────ヒコクニフク─────??─────シホノリヒコ
  │
  └オケツ姫[典侍]
     ┃───────ヒコヰマス
   ワカヤマトネコヒコ
     (開化天皇)

  

春日 合ふ江の 守が女の イトオリ姫を 勾当に ミコナカ橋の ヲシテ守』31文
磯城オオメが ホソ姫を 春日 チチハヤが ヤマカ姫 なる 典侍后32文
『八年三月 春日オケツ姫 典侍が生む 斎名アリスミ ヒコヰマス
32文

  

  

カスガヲキミ

→ ヲキミ

春日親君。
カヱシネ
は、子のアマタラシヒコクニを親君として、春日県を賜った。
  

『六十八年 一月十四日に オシヒトを 若宮となす 歳二十 翌日オシキネを 親君とし 春日を賜ふ』31文
『二十六年春 二月十四日 春日親君の オシ姫を 入れて内宮 今年十三』31文

  

  

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