ムクラ

→ 語義
  

六臓。
五臓とも五腑とも六腑とも言う。また五色埴とも。
臓と腑は、もともと「五クラの神 (キツヲサネ)」と「六ワタの神 (アミヤシナウ)」の神名による区別のようで、臓器としての厳密な区別は無かったようだ。
五臓六腑で、合計11の臓器があるはずだが、ホツマには以下の6臓器以外は出てこない。
  
中子(心)キモ(肝)ヨコシ(脾)フクシ(肺)ムラト(腎)
六臓、あるいは六腑という場合は、これに ヨクラ(膵臓?) が加わる。
  

★六臓と五腑で人の内臓、はらわた。
漢方医学で、六臓は、肺臓・心臓・脾臓・肝臓・腎臓・心包、五腑は大腸・小腸・胃・胆・膀胱。
 

五臟六腑 辺 根隅 分け 二十四に通ひ 四十八声 これ 身の内の 巡り良く』1文
五筋琴は 五方に響く 音を分けて 地のアワ歌を 教ゆれば 言の根通る 濯ぎ打ち9文
七月  八月  九月は見目 シム十四経 声の四十八手 アワの神14文
六月 乾き 臍の緒へ 血汁 通れば 身を養す 血汁 熟られて 五つ色の 埴もて付くる 守の神14文
七月 血を熟て 五色埴 これ臓・腑と 成す』16文
魄の根は ムラト心派 フクシユフ ヨクラヨコシや 根の六臓 渡るミヤビが ものを知る』17文
『ぬすむ心派 ミヤビより 五臓に告げて 安からず 見目に言葉に 跼り 抜き足 応ふ 埴 心 千万知れど ミヤビから』17文
五腑六臓も 地の道 中子は君ぞ は臣 は民よ  垣 は平らす 腑 副手』17文
皇籠魂の 神を祭りて 五座治し 衣 差し作り 経緯の 道 教ゆれば 八方通り 籠結国の守 皇籠の里 籠交ひ得るなり』24文
『一月七日朝は 七草の ミソ五臓や 十五日の朝 六腑纏りは 米と小豆 神現り粥ぞ』38文
『人生まる時 神とモノ 魂・魄 結び 霊の結と 五臓六腑も その上の 十四経 備え 人と成す』ミ6文
アイフヘモオスシの神は キツヲサネ 五臓六腑を 調えり 三十二の神は 見目・形 日夜の随に 守らせば』フ序

  

  

ネノムクラ

→ 語義

  
根の六臓。
魄の根の六臓。 魄の根心派の六端六宗 元守ともいう。
ムラト(腎臓)心派(心臓)フクシ(肺)ユフ(肝臓)ヨクラ(膵臓?)ヨコシ(脾臓)

根の六臓には天元神が付ける元守が宿り、ミヤビを介して中子と連絡して、両者 (六臓と中子) は不可分一体となっている。
よって一方の盛衰は他方にも影響を及ぼす。中子の神性に反する思考や行動は、六臓の衰弱となって現れ、六臓の衰弱は中子を曇らせる。この悪影響のループが続けば最後には身を枯らし、また霊の結も乱してしまうので、次に人として生まれ変わることも叶わぬものとなる。だから逆に中子の曇りを除くには、六臓を養生すれば良いということになる。
 

■チャクラ(chakra)の概念に近いのかもしれない。
 

『放持ならぬ 教え種 納め諭せる 心派の 六端 濯ぎて 身を精らげ 陽央根に返る 神形』15文
魄の根は ムラト心派 フクシユフ ヨクラヨコシや 根の六臓 渡るミヤビが ものを知る』17文
心派悪しき 業なせば ミヤビ 中子に 告ぐ哀れ 人が人打つ 殺すをも 見れば除かん 思ひあり 転ぶも起す 哀れ枝』17文
『ぬすむ心派 ミヤビより 五臓に告げて 安からず 見目に言葉に 跼り 抜き足 応ふ 埴 心 万・十万知れど ミヤビから』17文

中子の形 鏡ぞよ 人見ぬとても ぬすむなよ およその人は 知らねども 穢 現るる 元の守17文
『幹と派交わる 人身草 根 箱根空木 茎 一垂 四枝五葉 人身 小白花 秋 実は小豆 甘苦く 脾臓潤ひ を治す』24文
『胸清く 身は垢付けど 差使が見て 陽陰に告ぐれば 差使の 八つの聞えに 洗われて いのれもがもと』28文
裳裾の 民を撫でつつ 差使の 清きに神は ありと言えき』28文
『"隔辺を乞の" 準えは 人の隔辺の
 天の原 六宗は清く "戻ろそよ" 熾り明かして 還えば新に 違え生まるる 喩え歌』ミ和字

  

  

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