コトタチ

→ 語義
  

言立ち。
言を放つこと。宣言。

この宣言は「経矛の道」を守り続ける強い決意を表す。
イサナミを無くしたイサナギは、神霊となって (幽体離脱して) イサナミに会いに行く。しかしイサナミはイサナギを受け入れず、八人の鬼霊を使ってイサナギを黄泉辺境のこの世側まで押し戻す。
イサナミの真意は「アマテルを君とするまでは、イサナキ一人で世を治めていかなければ、他に代りはない。今ここでイサナギまで世を去れば、再びオモタル政権断絶後の秩序のない国に戻ってしまう。」ということであった。イサナギもイサナミのこの真意を悟り、経矛の道を堅持して世を治めてゆくことを確認する「言立ち」に至るのである。
  

イサナミ: 『麗わしや かく為さざらば 千頭を 日々に縊らん』
      (よかった。こうしてくれなかったら、無秩序な世に戻ってしまい、
          日々千人の堕落した臣を殺さねばならないところでした。)

イサナギ: 『麗わしや 我 その千五百 生みて誤ち無き事を守る』
      (うんよかった。例え毎日千人の臣を失うような事態になっても困らぬよう、
          我は日々千五百人の臣を育てていこう。)
  

イサナミが日々千人の臣を殺すというのは、「逆矛の道」をいう。たとえ大事に育てた臣民であっても、曲り外れたならば容赦なく殺すということである。このためイサナミは死後「隈の神(くまのかみ)」と呼ばれる。「曲りを滅ぼす神」という意味で、これがクマノ(熊野)の由緒となる。

イサナキが日々千人の臣を生むというのは、「調の教え」をいう。日々千人の臣を失うような事態に備えて、日々千五百人の臣を育てるため調の道を教え続けるということである。このためイサナキは死後「治曲の神(たがのかみ)」と呼ばれる。治曲とは「調の教えによって曲りを直す」という意味で、これがタガ(多賀)の由緒となる。

  

黄泉辺境 言立す イサナミ 曰く "麗しや かく為さざらば 千頭を 日々に縊らん"』5文
イサナギも "麗しや 我 その千五百 生みて誤ち 無き事を 守る"』5文

アワ君よ 別れ惜しくと 妻送る 夫は逝かず 逝けば恥』5文

鬼霊に追わす 善し悪しを 知れば足 退く 黄泉境 言立ち幸る 器あり』5文
イサナミ曰く 誤たば 日々に千頭 殺すべし イサナギ曰く 麗はしや 千五百の頭 生まんとて』23文
『生みて教える 調の道を 受けて治むる 千五百村 調の道 通り 大年の 瑞穂得るなり』23文
『垂の勇[死の諌]は 妻のを 御隈野の 神の諫めの 足ぞ退きける』フ127

  

  

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