高橋神社
奈良県奈良市八条町菰川。
祭神:栲幡千千媛
★社家:高橋氏。この高橋氏から出て、弥彦神社 (祭神:天香語山命、新潟県西蒲浦郡弥彦村弥彦) の越後彌彦大宮司家をはじめ、特に北関東・東北の八幡社や山王社の神職についている「高橋祝氏」がある。この高橋神社は、和珥氏の太祖ともいえる日子坐王の子、沙本毘売命&沙本毘古王の本拠地である佐保川の辺にあり、和珥氏の勢力圏内といえるので、和珥氏系としてよいと思う。
高椅神社
栃木県小山市高椅。
祭神:国常立尊、天鏡尊、天萬尊、磐鹿六雁命
当社の創立は、景行天皇の四十一年、日本武尊が御東征の折、現在の白旗丘(当社北方約一粁)に御旗を立てられ、国常立尊、天鏡尊、天萬尊の三柱の神を勧請して戦勝を祈願されたのが起源であると伝えられる。その後、天武天皇の十二年(六八四年)祭神の後裔高橋朝臣が氏祖神磐鹿六雁命を合祀して、高椅神社と尊称するに至った。磐鹿六雁命は、崇神天皇の御代、各地に派遣された四道将軍の一人である大彦命の御孫に当られる御方で、景行天皇が、御皇子日本武尊の御東征の戦跡を御巡視なされた際、膳臣としてお供をなされ当地まで来られたが、老令のためお許しを得てこの地にとどまり、以後代々豪族としてこの地方を支配した。天武天皇の十二年、朝廷より高橋朝臣の姓を賜わり代代高橋朝臣を襲名した。「高椅」の地名も高橋朝臣よりとったという。後一条天皇の長元二年(一○二九年)社域に掘った井戸から大きな鯉が出たため奇異であるとして、時の神主が都に参上、その由を奏上したところ、誠に霊異なことと思召され、「日本一社禁鯉宮」の勅願を賜わった。以来氏子民は、鯉を食うこと及び鯉絵のついた器物等の使用を禁ぜられたが、今日までこの禁を犯す者がなく、鯉を食べないことは勿論、五月節句の鯉のぼりも立てない風習が現存している。
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