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一から学ぶ みかさふみ講座 第31回 [2022.11.6]

みかさふみ 春宮の文 (4)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 はるみやのあや (その4)
 春宮の文 https://gejirin.com/mikasa05.html
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 さきにもちこか うむみこは ほひのみことの たなひとそ
 はやこかみつこ ひはたけこ おきつしまひめ
 ふはたきこ ゑつのしまひめ みはたなこ いちきしまひめ
―――――――――――――――――――――――――――――
 『さきにモチコが 生む御子は ホヒの尊の タナヒトぞ
 ハヤコが三つ子 一はタケコ オキツシマ姫
 二はタキコ ヱツノシマ姫 三はタナコ イチキシマ姫』
―――――――――――――――――――――――――――――

■モチコ
北の局の典侍マス姫の斎名です。
根の国の前マスヒト、クラキネの娘です。
(この時点ではシラウドが根の国のマスヒトになっています)


■ホヒの尊 (ほひのみこと) ■タナヒト
モチコを母とするアマテルの第1子の男子で、ホヒは通称、タナヒトは斎名です。
オオナムチがヒスミ(=津軽)に左遷された後任として、出雲国を領しました。
記紀には 天之菩卑能命/天穂日命 と記されます。

ホヒは この歌の中では “タナヒト” の斎名で呼ばれていますが、
次に登場する時には “タナキネ” に変わっています。

 昔 君  マナヰにありて ミスマルの 珠を濯ぎて
 
タナキネを モチに生ませて     〈ホ7-7〉

“○○ヒト” という斎名は皇位継承者のみに許されるものであるため、
タナキネへの斎名変更は、オシホミミの誕生により、皇太子の立場を
剥奪されたことを物語ります。この処遇に怒り狂った母モチコは、
オシホミミを生んだセオリツ姫を怨み、その怒りと怨念は ついには
モチコをオロチ(▽折霊:邪霊/蛇霊に心を支配される者) に変じさせます。
                          〈ホ7・ホ28〉

 神魂神社 (かもすじんじゃ)
 島根県松江市大庭町563。
 現在の祭神:伊弉冊大神、伊弉諾大神
 ・出雲国造の大祖天穂日命が、此地に天降られて御創建。
  天穂日命の子孫 (北島・千家両国造) は元正天皇霊亀二年(716) に
  至る25代果安国造まで祭主として奉仕。 斉明天皇の勅令により
  出雲大社の創建なるや、杵築(出雲大社) へ移住したる。


■ハヤコ
北の局の内侍コマス姫の斎名です。
モチコの妹です。


■タケコ ■オキツシマ姫
ハヤコが生んだ三つ子の姫の1人目で、タケコは斎名です。
記紀では 田心姫/多紀理比賣命 などと記されます。
オホナムチの妻となって、クシヒコ(=ヲコの尊)を生んでいます。
オキツシマは 今の 「琵琶湖の沖島」 をいい、タケコが葬られた場所です。

 奥津嶋神社 (おきつしまじんじゃ)
 滋賀県近江八幡市沖島町188。
 現在の祭神:奧津島比売命
 ・『大嶋神鎮座記』
   大国主の神は 奥島に鎮座しているとされる多紀理姫神を妻にする。
   (筆者注: “大国主の神” は オホナムチを指します)


■タキコ ■ヱツノシマ姫
ハヤコが生んだ三つ子の姫の2人目で、タキコは斎名です。
記紀では 多岐都比売命/湍津姫 と記されます。
相模国を治めるカグヤマツミ(3代オオヤマズミ)の妻となり、カゴヤマを生みます。
ヱツノシマは 今に言う 「江ノ島」 ですが、現在とは異なり 「相模国」 の別名です。

 江島神社 (えのしまじんじゃ)
 神奈川県藤沢市江の島2-3-8。 
 現在の祭神:田寸津比賣命、市寸島比賣命、多紀理比賣命


■タナコ ■イチキシマ姫
ハヤコが生んだ三つ子の姫の3人目で、タナコは斎名です。
記紀では 市寸島比売命/市杵嶋姫命 と記されます。
イブキヌシの妻となり、イヨツヒコ、トサツヒコ、ウサツヒコ を生みます。
晩年はウサツヒコと共に筑紫のウサ(宇佐)に行き、そこで神となります。

イチキシマ(市杵島)は イツクシマ(厳島)とも呼ばれ、安芸宮島の厳島神社に
タナコの神霊は纏られます。ウサで亡くなったのに安芸に纏られるというのは
変ですが、当時のウサの県の領地は海を越えて、安芸の地にまで及んでいました。
例えばニニキネは、安芸の禿げ山の植林を、ウサの守であるアカツチに命じて
います。〈ホ25-1〉つまりこの時点で安芸はまだ国として成立していないのです。

 厳島神社 (いつくしまじんじゃ)
 広島県廿日市市宮島町1-1。 
 現在の祭神:市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命
 ・<筆者注> イツクシマは イツクシム(慈しむ・愛しむ)の名詞形で、
  イツクシマ神はイトウ神の換言です。

  母もウサにて 神となる イツクシマ宮 “イトウ神” 善きを知る名ぞ
                             〈ホ28-6〉

 

【概意】
 『さきにモチコが生む御子は ホヒの尊のタナヒトぞ
 ハヤコが三つ子、一はタケコのオキツシマ姫
 二はタキコのヱツノシマ姫 三はタナコのイチキシマ姫』

 

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 しかるのち あきこかうめる たたきねは あまつひこねそ
 しかるのち みちこかうめる はらきねは いきつひこねそ
 とよひめは ねのうちめにて ぬかたたの くまのくすひそ
 みこすへて ゐをとみめなり
―――――――――――――――――――――――――――――
 『しかる後 アキコが生める タタキネは アマツヒコネぞ
 しかる後 ミチコが生める ハラキネは イキツヒコネぞ
 トヨ姫は 北の内侍にて ヌカタダの クマノクスヒぞ
 御子すべて 五男三女なり』
―――――――――――――――――――――――――――――

■アキコ
西の局の典侍、ハヤアキツ姫の斎名です。
九州を総括するカナサキの娘で、アマガツの考案者として知られます。


■タタキネ ■アマツヒコネ
アキコが生んだアマテルの次男で、タタキネは斎名です。
アマツヒコネは通称で、記紀には 天津日子根命/天津彦根命 と記されます。


■ミチコ
東の局の典侍、オオミヤ姫の斎名です。
ヤソキネ(=カンミムスビ)の娘です。


■ハラキネ ■イキツヒコネ
ミチコが生んだアマテルの三男で、ハラキネは斎名です。
イキツヒコネは通称で、記紀には 活津日子根命/活津彦根命 と記されます。


■トヨ姫
北の局の内侍で、斎名はアヤコです。
筑紫の底・中・上ワタツミを取りまとめるムナカタの娘です。
ここでは北局の内侍となってますが、はじめは西局の乙下侍でした。
局(つぼね)にも人事異動があるようです。


■ヌカタタ ■クマノクスヒ
トヨ姫が生んだアマテルの四男で、ヌカタタは斎名です。
クマノクスヒは通称で、これは 「クマノ神を斎く者」 を意味します。
記紀には 熊野久須毘命/ 熊野樟日命 などと記されます。

 

【概意】
『しかる後 アキコが生めるタタキネは アマツヒコネぞ
 しかる後 ミチコが生めるハラキネは イキツヒコネぞ
 トヨ姫は北の内侍にて、ヌカタダのクマノクスヒぞ
 御子すべて五男三女なり』

 

根の国  イサナキ┐     
         ├───アマテル
ヒタカミ イサナミ┘    ┃
              ┃
              ┃
ホツマ  サクラウチ───セオリツ姫ホノコ [内宮] ─────オシホミミ(8)
              ┃
              ┃
根の国  クラキネ──┬─マス姫モチコ   [北局の典侍] ──アメノホヒ(1)
           │  ┃
           └─コマス姫ハヤコ  [北局の内侍] ──タケコ(2)・タキコ(3)・タナコ(4)
              ┃
ヤマシロ カダ──────アチコ      [北局の下侍]
              ┃
              ┃
ヒタカミ ヤソキネ──┬─オオミヤ姫ミチコ [東局の典侍] ──イキツヒコネ(6)
           │  ┃
           └─タナハタ姫コタヱ [東局の内侍]
              ┃
筑波   ツクバハヤマ──ソガ姫      [東局の下侍]
              ┃
              ┃
美濃   カナヤマヒコ──ウリフ姫ナカコ  [南局の典侍]
              ┃
ホツマ  サクラウチ───ワカサクラ姫ハナコ[南局の内侍]
              ┃
筑紫   カスヤ─────イロノヱ姫アサコ [南局の下侍]
              ┃
              ┃
筑紫   カナサキ────ハヤアキツ姫アキコ[西局の典侍] ──アマツヒコネ(5)
              ┃
筑紫   ムナカタ──┬─オリハタ姫オサコ [西局の内侍]
           │  ┃
           └─トヨ姫アヤコ   [西局の下侍] ──クマノクスヒ(7)
 

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 さのとのに たちはなうゑて かくのみや
 きにさくらうゑ うおちみや
 みつからまつり きこしめす あまねくたみも ゆたかなり
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 南の殿に タチバナ植えて “カグの宮”
 東に桜植え “大内宮”
 自ら政 聞こし召す あまねく民も 豊かなり
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■南の殿 (さのとの)
「イサワ宮の内裏の南側の殿」 をいいます。


■タチバナ (▽立木・橘)
「香り立つ木」 の意で、柑橘類の総称です。
大地から “放つ(はなつ)” ものという意から、木は “ハナ” とも呼びます。
太古クニトコタチが “国を立てる” モノザネとして植えた木です。
そのためタチバナは トコヨの木(とこよのはな) とも呼ばれます。


■カグの宮 (かぐのみや)
“南の殿” に付けられた名です。
“カグ” は、これもタチバナの別名で、「かぐわしきもの」 という意です。
今の辞書にも 香の菓(かくのこのみ) という名が残っています。

この宮殿は、君と重臣が集って国家の公務を諮る会議場で、
今で言えば 皇居宮殿、あるいはまた 内閣です。
イサワが都の時代、“タカマ” とは具体的にはここを指します。

 
■大内宮 (うおちみや・おうちみや・をうちみや・ををうちみや)
「イサワ宮の内裏の東側の殿」 に付けられた名です。
ウオ/オオ/ヲ/ヲヲ(央・大)+ウチ(内)+ミヤ(宮) で、
「大中心の宮・大奥の宮」 を意味します。これはフトマニ図中心の
“アウワ” の宮 (アメノミヲヤの座所) になぞらえたものと考えていいでしょう。

“カグの宮” と対照的に、こちらはアマテル君と正妃セオリツ姫の個人的な
住居です。国君夫婦の住居を内宮(うちみや・うちつみや)と呼びますが、
“大内宮” と呼ばれるのは アマテル夫婦の住居だけです。

 

【概意】
南の殿に橘を植えて “カグの宮” と呼び、
東の殿には桜を植えて “大内宮” となす。
君みずから政をお執りになり、民もあまねく豊かであった。

 

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 みこおしひとお はるみやと なすはいきいく はるこころ
 たみいつくしむ みをやなりけり
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 御子オシヒトを “春宮” と なすは生き活く 春心
 民 慈しむ 御祖なりけり
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■オシヒト
オシホミミの斎名(本名・実名)です。


■春宮 (はるみや)
「代嗣御子・皇太子」 の別称で、現在も 春の宮(はるのみや)
春宮(しゅんきゅう)
東宮/春宮(とうぐう)東宮/春宮(みこのみや)
などと呼ばれます。

 ハル(春)は ハル(張る)の名詞形で、ハル(張る)は ハユ(生ゆ・映ゆ)の変態です。

 
■生き活く (いきいく)
イク(生く)+イク(活く) の連結動詞で、
「生んで活かす・生んで高める・生み育てる・生育する」 などの意です。
たぶん イク(活く)=イク(育) なのだろうと思います。
これはさきに出てきた ウウク の同義語です。

 都を 国の南に 移すは八民 ううくため  〈ミ5-3〉


■春心 (はるごころ)
ココロ(心)は 「中心・髄・本質」 などが原義ですので、「春の本質」 という意です。
すなわちそれは 「生み育てる・生えて伸びる・生育する」 ということです。

 

【概意】
御子オシヒトを代嗣となし、それを “春宮” と名付けるは、
生んで育てる “春” の本質に因む。〈後に君となった時〉
民を慈しむ(=生み育てる) 親とならんことを思うためである。


 ここで再び 二尊の民の生育のことが思い出されます。

  二尊受けて 親となり 民を我が子と 育つるに
  篤く教えて 人となす … …  
  臣・民 子・孫 隔てなく 慈く・恵まん 思ひなり 〈ホ17-2〉

 もちろん “春宮” には 「若葉の宮さま・若宮」 の意味もあると思います。

 

 

本日は以上です。それではまた!

 

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