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徹底解説みかさふみ講座 第29回 [2022.10.17]

みかさふみ 春宮の文 (2)

著者:おあずけ2号 (駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com

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 はるみやのあや (その2)
 春宮の文 https://gejirin.com/mikasa05.html
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 そのうゑにたつ あさひみや きみねんころに まつりして
 のちかえまさん みてくるま
 ととむるたみお あわれみて みつからまつり きこしめす
―――――――――――――――――――――――――――――
 その上に建つ 朝日宮 君ねんごろに 纏りして
 後 帰えまさん 御出車
 留むる民を 憐みて 自ら政 聞し召す
―――――――――――――――――――――――――――――

■その上に建つ (そのうゑにたつ)
「トヨケが入って閉ざした辞洞の上に建てる」 という意味です。


■朝日宮 (あさひみや)
“朝日” はトヨケの贈り名です。
贈り名とは 「天に送る神霊(みたま)に贈る名」 をいいます。
朝日=日の出=日高み ですから、「日の神を世に出した神」、
また 「ヒタカミの神」 を表すものと考えます。

” は 「神霊を招き入れる器」 をいいます。これには 依代(よりしろ)
神籬(ひもろぎ)社(やしろ) など、いろんな呼び方がありますが、
最高格の神霊を招き入れる器だけが “宮” と呼ばれます。
この朝日宮の面影を今に残すのが、籠神社奥宮の真名井神社です。

 籠神社 (このじんじゃ)
 京都府宮津市字大垣430。 
 現在の祭神:彦火明命 配 天照大神、豊受大神
 奥宮 真名井神社:豊受大神
 ・もともと匏宮(よさのみや)として奥宮(真名井原の地)に豊受大神が鎮座。


■ねんごろ (懇ろ)
「心を込めるさま・念入り」 をいいます。

 ネグ(▽和ぐ・労ぐ)コル(梱る) の名詞形ネゴロの音便変化です。
 ネグは ネギラフ(労う犒う)の母動詞、コルは コム(籠む・込む)の変態で、
 両語とも 「合わす・添える・入れる」 などが原義です。

 
■纏り (まつり)
マツリ(纏り)は 「まとめ・治め・手当て・処置」 などを意味しますが、
ここでは モマツリ(喪纏り) をいいます。

 ★喪纏り (もまつり)
 モ(喪)は モフ(▽戻ふ)の名詞形 “モハ” の短縮で、
 「戻り/戻し・還り/還し・送り」 などを意味します。(喪=送=葬 です)
 マツリ(纏り)は 「取りまとめ・調え・手当て・処置」 などを表します。
 ですから 「死者の送還のための処置」 の意で、今に言う 「喪儀葬儀」 です。


■御出車 (みてぐるま)
出車(てぐるま)の尊敬語で、「君や神の外出用の乗り物」 をいいます。
後世は “出” は デ と濁るため、“手車“ と漢字がと宛てられていますが、
出し車(いだしぐるま)
山車(だし・だんじり) と同根です。
君の玉座である 高御座 を外出用の乗り物に仕立てたもので、
屋根には鳳凰が乗るため、後には 鳳輦(ほうれん) とも呼ばれます。
みこし” はこれを起源とします (本来は高御座と同じく八角形)。

クルマ(車)は この場合は 「まわす物・往き来させる物・運搬具」 の意で、
“輿” や “駒” との区別はなく、よって車輪の付いてる物に限りません。


■政 (まつり)
マツリ(纏り)が原義で、「まとめ・治め・手当て・処置」などを表します。
ここでは 「サホコチタル国の治め・政治」 を言うため、“政” と宛てています。


■聞し召す (きこしめす)
キク(聞く)の二重尊敬語です。(キク → キコスキコシメス)
さらにもう一段尊敬を重ねる時には “聞こし召さる” と表現します。
キクは 「(身に) 合わす/寄せる/及ぶ」 などが原義です。
かなり広範な意味を表しますが、ここでは 「(政を) 取る/執る」 の意です。

 

【概意】
その上に建てる “朝日宮”。君は心を込めて喪儀を行い、
その後 お帰りになろうと御出車を召すが、引き留める民を憐みて、
自らサホコチタル国の政をお執りになられる。

 

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 おもむきつける ききすにて むかつひめより ことのりし
 たかみにまつる とよけかみ
 もちこのすけと はやこうち あちことみたり はやゆけと
―――――――――――――――――――――――――――――
 趣 告げる キギスにて ムカツ姫より 言宣し
 タカミに纏る トヨケ神
 「モチコの典侍と ハヤコ内 アチコと三人 はや行け」 と
―――――――――――――――――――――――――――――

■趣 (おもむき)
オモ(主)+ムキ(向き) で、「主に向く方・主なる方向性」 を原義とし、
「主旨・おおむね(大旨・概)・おおかた(大方)」 の意を表します。

 オモ(主)を 「人の本質/主体=心」 と捉えれば、
 「心の向き・心が向かうさま・おもしろみ」 等の意になります。


■キギス (雉・雉子)
キジの別称で、「伝書使・伝令使」 を意味します。
おそらく地上を 往き来する(ユキキスル) という意味だと思います。
キキスキキシキシ と変化したのでしょう。

 鳥のキジは草地に生息して地上を歩き、
 飛ぶのは苦手ですが、走るのは速いそうです。


■ムカツ姫 (むかつひめ:向つ姫)
あまさかる日に向つ姫” の略で、セオリツ姫の別名です。
“日の前向つ姫(ひのまえまかつひめ)” とも呼ばれます。


■タカミに纏るトヨケ神 (たかみにまつるとよけかみ)
「タカミ(ヒタカミの略)にトヨケの神霊をまとわす」 という意です。
つまり、ヒタカミの地に宮なり社なりを建ててトヨケの神霊を
招き入れたということです。

 このトヨケの神霊を纏る宮/社は 現在も残っているはずと思うのですが、
 東北地方の神社は由緒の不明・不詳が多く、現状手がかりがありません。


■モチコ ■ハヤコ ■アチコ
北の局の 典侍モチコ、内侍ハヤコ、乙下侍アチコ です。

 ★局 (つぼね) ★典侍 (すけ) ★内侍 (うちめ) ★乙下侍 (おしもめ)
 アマテルの斎侍(=后)は、合計12人備えられましたが、北・東・南・西の
 四局に3人ずつ配置されます。3人のうち、最上位の斎侍が典侍(すけ)で、
 次席は内侍(うちめ)、最下位は乙下侍(おしもめ)と呼ばれます。
 これも1年が四季に分かれ、四季は各々3ヶ月に分れることがモデルです。
 アマテルに始まるこの局の制は、以降の皇君にも引き継がれます。

北の局の3人が選ばれた理由は、(1)宮津は都から北の方向にあること、
(2)モチコ・ハヤコ姉妹の出身地に近いこと、(3)たまたま北の局が当番
だったことなどが考えられます。このモチコとハヤコの派遣は将来に
禍根を残すことになりますが、それはホツマ7アヤで語られています。


■マナヰの原 (まなゐのはら)
マナヰ(真名井)は ミヤツ(宮津) の別名です。
ハラ(原・▽治)は 「範囲・領域・縄張り」 などを意味します。


■宮仕え (みやつかえ・みやつかゑ)
「主人に付いてお世話すること」 をいいます。
は 「中心・主」 を意味し、この場合は 「君」 です。

 

【概意】
その主旨を告げる伝令を受けて、ムカツ姫より言宣し、
トヨケの神霊をヒタカミに纏る。
また 「典侍モチコ、内侍ハヤコ、乙下侍アチコの三人は急ぎ行け」 と、

 

―――――――――――――――――――――――――――――
 まないのはらの みやつかえ ことのりあれは
 かとてして みやつのみやに あるときに
 きみのみかりに ちたるくに みちおさためて をさむのち
―――――――――――――――――――――――――――――
 マナイの原の 宮仕え 言宣あれば
 門出して ミヤツの宮に ある時に
 君の巡幸りに チタル国 道を定めて 治む後
―――――――――――――――――――――――――――――

■マナヰの原 (まなゐのはら)
マナヰ(真名井)は ミヤツ(宮津) の別名です。
ハラ(原・▽治)は 「範囲・領域・縄張り」 などを意味します。


■宮仕え (みやつかえ・みやつかゑ)
「主人に付いてお世話すること」 をいいます。
は 「中心・主」 を意味し、この場合は 「君」 です。


■巡幸り (みかり)
ミル(回る)カル(▽転る・駆る) の同義語連結の名詞形で、
「回ってめぐらすこと・巡って恵むこと・巡幸」 を意味し、
メグリ(恵り)
ミユキ(御幸) の同義語です。“巡幸り” は筆者の宛字です。


■チタル国 (ちたるくに)
サホコチタル国の略です。

 

【概意】
マナヰの原での宮仕えを命ずる言宣りがあれば、
門出してミヤツの宮にある時に、
君の巡幸により道を定めてチタル国を治めた後、

 

―――――――――――――――――――――――――――――
 やそきねのおと かんさひお ますひとに
 ねのしらうとと かねなめさしむ
 またおとこ つはものぬしと こくみそゑ
 つほねととめて かえらんと
―――――――――――――――――――――――――――――
 ヤソキネの弟 カンサヒを マスヒトに
 根のシラウドと 兼ね嘗めさしむ
 また乙子 ツハモノヌシと コクミ副え
 局 留めて 帰らんと
―――――――――――――――――――――――――――――

  ここは五七調が少々いびつなため言葉の区切りを調整しています

■カンサヒ
トヨケの子で、ヤソキネの弟です。先代旧事本紀という書に “神狭日命” と
して登場します。そこには 『天忍日命 大伴連等祖 亦云 神狭日命』とあり、
天忍日命(あめおしひ) の別名ということになっていますが、別人であり、
アメオシヒはカンサヒの子です。カンサヒを祭る神社も天忍日命を祭神名と
する場合が多いようです。

 
 クニトコタチ─クニサツチ┐
   (I)     (II)  │
 ┌───────────┘
 ├トヨクンヌ─ウビチニ┬ツノクヰ─オモタル
 │ (III)    (IV) │  (V)   (VI)    ┌クラキネ
 │          │           ├ココリ姫
 │          └アメヨロツ┬アワナキ─┴イサナキ┐
 │          (養子)↑  └サクナキ   (VII) ├ヒルコ
 │             └─────┐       ├アマテル
 ├ハコクニ─東のトコタチ┬アメカガミ─アメヨロツ    ├ツキヨミ
 │      (初代)  │               ├ソサノヲ─ヲオナムチ
 └ウケモチ       └タカミムスビ─トヨケ┬イサナミ┘
               (2〜4代)   (5代)├ヤソキネ─タカキネ┬オモヒカネ
                        │ (6代)   (7代) ├ヨロマロ
                        ├カンサヒ     ├フトタマ
                        └ツハモノヌシ   ├タクハタチチ姫
                                  └ミホツ姫


■マスヒト (▽纏人・升人)
「中央から任命されて地方の国を治める知行者」 をいい、この場合は
「カンサヒをサホコチタル国の知行者に任じた」 ということです。
後には ツウヂ とか クニツコ(国造) と呼ばれるようになります。
マス(▽纏す)+ヒト(人) の “マス” は、マツル(纏る)の母動詞 “マツ” の
変態で、「合わす・和す・まとめる・調える」 などが原義です。
大祓詞に “天之益人” として登場します。

 安国と、平らけく知し食さむ国中に、成出(なりい)でむ
 
天之益人(あまのますひと)等が過ち犯しけむ雑雑の罪事は 〈大祓詞〉


根のシラウド (ねのしらうど)
根の国のマスヒト」 という意です。シラウドは シラヒトとも呼ばれ、
いちおう個人名なのですが、その意味は 「領る人」 で、マスヒトと同義です。
大祓詞には “白人” として登場します。

 白人(しろひと) 胡久美(こくみ) 己が母犯せる罪 己が子犯せる罪
 母と子と犯せる罪 子と母と犯せる罪        〈大祓詞〉

 
■兼ね嘗めさしむ (かねなめさしむ)
サホコチタル国のマスヒトに任じたカンサヒに、シラウドとの共同統治の形で、
根の国の治めも兼任させる、という意に解釈しています。

 ナム(嘗む・▽和む)は 「合わす・やわす・まとめる・調える」 などが原義で、
 ヲサム(治む)・マツル(纏る) などの同義語です。

 
乙子 (おとご)
「末の子・末っ子」 をいいます。

 
ツハモノヌシ・ツワモノヌシ
トヨケ(斎名タマキネ)の子で、ヤソキネ・イザナミ・カンサヒの弟です。
後に フツヌシ・ミカツチと共に、初めて “霊返し” を実践し、アマテルより
“あなしうを尊” の尊名を授けられ、大和国磯城県の知行者に任じられています。

 
■コクミ
もともとサホコチタル国のマスヒトでしたが、職務を怠るので
トヨケ(斎名タマキネ)が代わってサホコ国を治めます。

 チタル国 マスヒト コクミ 怠れば タマキネ付けて 〈ホ6-2〉

トヨケの帰天後は、アマテル自らがサホコ国の政を執っていましたが、
ここであらためて、コクミがサホコ国の副マスヒトに任じられます。
コクミの語義は未解明ですが、大祓詞に “胡久美” として登場します。

 白人(しろひと) 胡久美(こくみ) 己が母犯せる罪 己が子犯せる罪
 母と子と犯せる罪 子と母と犯せる罪        〈大祓詞〉


局留めて帰る (つぼねとどめてかえる)
アマテルのもとに派遣された 「北の局の三后を現地に残して帰る」
という意ですが、それは何故でしょうか。
考えられるのは、アマテルと三后がミヤツに滞在中に、モチコとハヤコは
妊娠・出産しているため、産後と育児を考慮しての処置だということです。

 昔 君 マナヰにありて ミスマルの 珠を濯ぎて
 タナキネを モチに生ませて 床酒に ハヤコを召せば その夢に
 十握の剣 折れ三割 さがみにかんで 共となる 三人姫生む 〈ホ7-7〉

 

【概意】
ヤソキネの弟カンサヒを サホコ国のマスヒトとなし、
シラウドと共同で、根の国の統治も兼任させる。
また末子のツハモノヌシと、コクミをサホコ国の副マスヒトとなし、
局を宮津に留めて帰ろうと、

 

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 こそよりむかふ そさのをと あまのみちねと おともして
 ゐとせのうもち かえります
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 去年よりむかふ ソサノヲと アマノミチネと 御供して
 五年の四月十五日 帰ります
―――――――――――――――――――――――――――――

■去年 (こぞ)
コソ+トシ(年) の簡略で、コソは コス(越す)の名詞形です。


■むかふ (向かふ/迎ふ)
「日の神に向かう」 の意か、「臣として迎える」 の意か迷う所ですが、
どちらにしても 「臣としてアマテル君に仕える」 ことをいうのは
間違いありません。


■ソサノヲ
二尊がヒルコ、アマテル、ツキヨミに次いで生んだ男子で、最後の子です。
斎名(いみな:本名・実名)は ハナキネ です。
“ソサノヲ“ の名の語義は 「すさんだ皇子・荒廃した皇子」 と考えています。
記紀は スサノオ(須佐之男命・素戔嗚尊) と記します。

 アワナギ─イザナギ┐
          ├1.ワカ姫  (斎名ヒルコ)
          ├2.アマテル (斎名ワカヒト) 
          ├3.ツキヨミ (斎名モチキネ)
          ├4.ソサノヲ (斎名ハナキネ)
 トヨケ──イザナミ┘

イサナミが、陽陰の節(あめのふし) の乱れた時に孕んだ子であったため、
感情を制御できず、常に激昂して泣き叫ぶという 先天的な異常を持っていました。

 陽陰の巡りの 蝕みを 見るマサカニの なかごりて
 生むソサノヲは 霊乱れ 国の隈なす 誤ちぞ   〈ホ7-7〉


■アマノミチネ
ヤソキネ(=カンミムスビ)の曾孫で、先代旧事本紀には 天道根命 と記されます。
アマ(陽陰)の ミチ(道)+チネ(▽因) の短縮で、「アマテルの道連れ」 の意と思います。
つまり、この時アマテルの帰京のお供をしたことによる名です。

 神武天皇の時代に同名の人物がもう一人出てくるのですが、それとは別人です。


■五年の四月十五日 (ゐとせのうもち)
“うもち” は  ウツキ(卯月)モチ(望) の簡略です。

ホツマの同文部分は 次のように記しており、

 去年よりむかふ ソサノヲと アマノミチネと 門出なす
 
ネナト三月の 十五日よりぞ 四月の十五日に 帰ります 〈ホ6ー4〉

ネナトは60年周期のヱトの10番目の年で、22鈴505枝10穂 に当たります。
アマテルがトヨケに呼び出されて宮津に来たのが 22鈴505枝1穂 ですから、
10年ほど宮津に滞在したことになりますが、ミカサの言う “五年” が
何を意味するものか不明です。

 

【概意】
去年より迎えたソサノヲとアマノミチネが御供して
五年の四月十五日に帰ります。

 

 

本日は以上です。それではまた!

 

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