ミヤツ

→ 語義
  

宮津。
サホコチタル国の政庁都市。 ≒マナヰ
  

【宮津】ミヤヅ −広辞苑より−
京都府北部、若狭湾西端の宮津湾に臨む市。西廻り廻船の港町、城下町として発展。丹後地方の中心都市。天橋立(あまのはしだて)がある。

【天橋立】アマノハシダテ −広辞苑より−
京都府宮津市宮津湾の砂洲(さす)。日本三景の一。延長約三キロメートルの白砂の松林で、成相山・傘松からの縦一文字と、大内峠(おうちとうげ)からの横一文字の景色は特に有名。
  

シラヒト・コクミ事件のあらすじ
根国マスヒトクラキネは、その臣であるシラヒトの推薦により、コクミの妹のサシミメを妻とする。
サシミメはクラ姫を生み、喜んだクラキネは、妻の兄のコクミをサホコの副マスヒトに登用する。
シラヒトはクラ姫を妻とするが、母のサシミメとも関係を持ち始める。
(おそらくサシミメの口添があって) クラキネは死の直前に、シラヒトを根国の次期マスヒトに指名する。
しかしシラヒトは、クラキネの死後、サシミメ・クラ姫の母子を、宮津 (サホコの政都) に送る。
宮津にいたコクミは、サシミメ・クラ姫の母子を犯し、我がものとする。
サホコの副マスヒトのツハモノヌシは、「カンサヒ (サホコのマスヒト) は、これらの非道を知りながら放置している」と、タカマに訴え出る。

  

ミヤツより 早雉 飛べば 太陽神 急ぎマナヰに 御幸なる』6文
クラコ姫 身を立山に 納む後 を捨てて 西に送る コクミ 母子を 犯す罪』7文

  

  

ミヤツノミヤ・サホコノミヤ

みやつのみやさほこのみや

  
宮津宮。サホコの宮。 
サホコ国の政庁宮で、晩年のタマキネがここで政を執る。  
タマキネがここで罷ってからは、アマテル自らもしばらくここで政を執る。
  

■アマテルが宮津からハラミに戻る時に、どういう訳か北の局(モチコハヤコアチコ)を宮津に残して、ソサノヲアマノミチネを伴って帰って行く。ということはモチコ・ハヤコとソサノヲは一定の期間は共に宮津に居たということである。また不思議なのは、モチコ・ハヤコとソサノヲはどちらもなぜかサホコのヒカワに流離うのである。さらにアメオシヒクラコの祝を調えに宮津に行くのは、またしてもソサノヲなのである。ソサノヲはそこでハヤスフ姫に出会う。そしてそのハヤスフ姫は後にモチコ・ハヤコ等のオロチの犠牲となるのである。サホコ・出雲・オロチ・ソサノヲ、これらと六ハタレの蜂起の関連についてホツマツタヱは断片的にしか説明してくれない。
  

京都府宮津市字大垣、 (コノ) 神社
  

タカキネを 君の輔と タマキネは 行きてサホコの 国を治す ミヤツの宮ぞ』6文
『言宣あれば 門出して ミヤツの宮に ある時に の恵りに チタル国 道を定めて 治む後』6文
『頷き向ふ 八十 続き サホコの宮の アサヒ神 拝みて到る イツモ方の 道にたたずむ 下民や』9文

  

  

ミヤツノマツ

まつ

  
宮津の松。
宮津市内に松原という町名がある。今はわからないが昔は松原だったのだと思う。
  

『昔 トヨスキ の告げ 御霊笥かつぎ 与謝に行く  この橋立は 笠縫の 上より宮津の 松に雲 棚引き渡す』36文

  

  

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