クメ

→ 語義
  

来目。久米。 大来目命。 
イスキヨリ姫
の父。 
神武
大嘗会の時、ミチヲミはクメと共に御垣守を勤める。 
ホツマには『記紀』とは異なり、神武東征中のクメの活躍については全く記載がない。
  

■思うにクメは固有名詞ではなく「添う(沿う)者/所・組む者・近隣」などの意の普通名詞である。
『ミチヲミ クメと御垣守 (30文)』 ここでの「クメ」は「配下の者・率いる兵」程度の意。
またミチヲミは東征の功賞として「クメの所」を神武より賜る。この「クメの所」とは元来は、「(橿原宮の) 隣接地」の意と思うが、その土地の所有者は自然と「クメ」と呼ばれることとなろう。
この推理の帰結として「クメ」とは、実はミチヲミの別称なのではないかと疑っている。

  
ツミハ──┐┌クシミカタマ
     ├┼クシナシ
タマクシ姫┘└──────タタラヰソスズ姫(内宮)
                 ┃
          ┌ヰツセ   ┃─カンヤヰミミ
          ├ミケイリ  ┃
ウガヤフキアワセズ┐├イナヰイ  ┃─カヌナカワミミイキシ
         ├┤      ┃        │
タマヨリ姫────┘└カンヤマトイハワレヒコ    └タマテ
             ┃       ┃
             ┃─タギシミミ ┃
             ┃       ┃
ヒウガ・アタ県主───アヒラツ姫(大典侍) ┃
                     ┃
           クメ───イスキヨリ姫(御下)
                (後にタカクラシタに下される)
  

奈良県橿原市久米町、久米御縣 (クメミアガタ) 神社
滋賀県高島郡新旭町太田、大田 (オオタ) 神社

  

ウマシ モノベと 門を守る ミチヲミ クメと 御垣守 上宣言は 斎瓮臣30文
『思えば忠は ウマシマチ  代々モノベ継げ ミチヲミは 望みのままに 築坂と クメの所を 賜ふなり』30文
代嗣なし クメが子の イスキヨリ姫 乙下侍に 召せばに 咎められ  ユリ姫となり 殿居せず』31文

『先にサユリの 花見とて の御幸は サユ郷に 一夜寝ねます クメが家の イスキヨリ姫  膳出に 御食進むれば』31文

  

  

クメノトコロ

→ 語義

  
クメの所。
ホツマには場所についての記述はない。現在の久米町ではなく、畝傍山の西の大谷町あたりだと思う。 
東征の功賞として「ツキサカ」と「クメの所」をミチヲミに賜っている。これは県主に任ぜられたということではなく、宅地として賜ったということだと思われる。
  

奈良県橿原市久米町、久米御縣 (クメミアガタ) 神社
  

■おそらく「クメ」は「添う(沿う)者/所・組む者・近隣」というような意であり、「クメの所」というのは「橿原宮の隣地」の意。そしてその土地の所有者が「クメ」と呼ばれるようになったと推測する。
  

『思えば忠は ウマシマチ  代々モノベ継げ ミチヲミは 望みのままに 築坂と クメの所を 賜ふなり』30文

  

  

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