ミチヲミ

→ 語義
  

道臣命。 
大来目主ともいうらしい。神武東征に従軍。
ヤタ烏を導きに皇軍を率いてウカチ村に達する。
兄ウカシ
を責め殺す。
神武の夢の告げにより、笠を持つ老翁に扮して、弟ウカシと共にに香具山の土を採ってくる。
丹生川
端にアサヒ原を写し、アマテルとトヨケを祀る際の斎主となる。
神武の即位式では、日の使い(日の臣)として、璽の御筥をタケヒトに渡す役を務める。
神武即位の翌年には、東征の行賞として、築坂クメの所を賜わる (ウマシマチに次いで第二位の殊勲)
  

奈良県橿原市鳥屋町、鳥坂 (トリサカ) 神社
大阪府堺市草部、日部 (クサベ) 神社
和歌山県和歌山市片岡町、刺田比古 (サスタヒコ) 神社
  

■ミチヲミは東征の功賞として「クメの所」を神武より賜る。この「クメの所」とは元来は、「(皇居に) 隣接する地」の意と思うが、その土地の所有者は自然と「クメ」と呼ばれることとなろう。この推理の帰結として「クメ」とは、実はミチヲミの別称なのではないかと疑っている。
■他文献では天忍日(アメオシヒ)の曾孫で、大伴タケヒの祖とも言うが、全く信用しがたい。

 アメオシヒ━天津彦日中咋命━ミチヲミ(日臣命)━味日命━稚日臣命━大日命━┓
                                     ┃
 ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
 ┃
 ┗角日命━豊日命━タケヒ━武持━室屋┳談━┳金村
                   ┃  ┗歌連
                   ┗御物 

★『書紀』日臣命(ヒノオミ) が宇陀の穿村まで軍を導いた功により「道臣」の名を賜った。
  

老翁が穿つ あすか道 軍 率き行く ミチヲミが 峰越えウタの ウカチ村29文
『故にミチヲミ 探すれば 仇なす如を お猛びて "汝が造る 屋に居れ"と 剣よ弓と 攻められて 辞む処方なき 陽陰の潰』29文
斎瓮を造り 丹生川の ウタに写せる 朝日原 アマテルトヨケ 二祭は ミチオミぞ』29文
ミチヲミが撃つ オシサカと ウツヒコが撃つ オンナ坂 兄シギの逃げる クロ坂に 挟みて撃てば』29文
『"日の神使 ミチヲミと 月の使は アタネなり 星の使は アメトミ" と 斎瓮 賜わり なす』30文
高御座 褥九重 アマノタネコは 褥三重 クシミカタマは 褥二重 日の臣歌ふ 都鳥 三重下りて聞く』30文
日の臣は 璽の御筥  奉る アタネ アメトミは 八重垣持ちて アメタネコ クシミカタマに 授くなり』30文
ウマシ モノベと 門を守る ミチヲミ クメと 御垣守 上宣言は 斎瓮臣30文
『思えば忠は ウマシマチ  代々モノベ継げ ミチヲミは 望みのままに 築坂と クメの所を 賜ふなり』30文

  

  

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