草香・日下・草加 (軍構・軍交)。
河内の草香邑。現:生駒山地西麓の東大阪市日下町。
神武東征の折、山後川を遡って河内の草香邑に至り、アウエモロの館にて戦備を調える。
生駒山は草香山とも言う。
■「くさか」に「日下」の漢字を当てるのは、「日の孫が軍を一旦退いた所・日が下った所」の意味があるのかも知れない。
★現在の日下は内陸部で、舟で行けるような場所ではない。だが大阪平野には、縄文晩期から古墳前期
(約3000年前から1600年前)、河内湖 (初期は海水の潟で、後淡水の湖となる)
と呼ばれる湖があつたとされる。天王寺あたりから、東海道新幹線新大阪駅あたりまで伸びる上町台地と、吹田市南の陸地に囲まれた淡水湖、あるいは潟である。淀川、大和川がこの湖に流れ込んでいたとされる。
★『書紀』三月丁卯の朔 丙子。流れを遡りて上り、ただに河内國草香邑青雲(あおくも)の白肩之津(しらかたのつ)に至る。
『速浪立つる 水みさき 名も
"浪速の 港” より 山後川を 逆上り 河内草香の アウヱモロ 館に軍 調ひて』29文
『龍田の道は 並び得ず 生駒
越ゆれば ナガスネが 軍
起して "我が国を 奪わんやわ" と 孔舎衛坂 戦ひ合わす』29文
『"我は日の孫 日に向かふ 天に逆えば 退きて 神を祭りて 日の随に 襲わば仇も 破れん"
と 皆 "然り" とて 八尾へ退く』29文
【ホツマツタヱ解読ガイド】 【ミカサフミ解読ガイド】 【ふとまに解読ガイド】
【やまとことばのみちのく】 【にしのことばのみちのく】 【あめなるみち】
【ホツマツタエのおもしろ記事】