墨坂神社
奈良県宇陀市榛原字天野。
祭神:墨坂神
神武天皇即位四年春鳥見山中に霊畤(まつりのにわ)を築かれ、天皇みづから皇祖天神を祭祀され『この地を上小野榛原(かみつおのはりはら)、下小野榛原という』とある。その下小野榛原が即ち墨坂の地である。崇神の時には、墨坂に朱色の、西の大坂に墨色の盾矛を祀ったという。天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊那郡岐神、伊那郡美神、大物主神の六神を総称し墨坂大神と申している。崇神天皇の御代、国中に疫病が蔓延したた時、夢のお告げにより御勅祭されたところ、疫病は平癒し、もとの天平泰平となったと記されている。文安6年9月(西暦1450年)に墨坂から現在地に遷座されたものである。
★from http://www14.plala.or.jp/nikorobin/torimi4.html
霊畤跡の東西南北にそれぞれ神社が配置され、現在確認されているのは北の鳥見社と南の墨坂神社(現在の地の前には天ノ森に鎮座)で、鳥見社は、元々天神社と呼ばれ皇祖天神をお祀りし墨坂神社に合祀された後に再度分祀されたとの口伝があると宮司さんからお伺いした。西の八重雲神社と東側の神社は確認できていない。尚、現墨坂神社の地は、天富命(忌部氏祖)の邸跡と伝えられている。
この鳥見社もしくは墨坂神社が印西に分祀されたとする説なのだが、残念ながら確証は見出せない。しかし奈良県宇陀郡史料には次ぎのような記載が残されている。「近年発見せる記録は最も面白き事項を記載せり、それは下総国印旛郡小林郷萩原村鳥見神社は、古に宇陀郡萩原より分社せられたるものなる由、同神社社記にありと該社の分社年代及び理由は明らかならずと言えども分社せられたる社記及び現に萩原村鳥見神社の名称を下総の郡に呼称せるはまた奇と云う可し」と。
■祭神は賀茂の御祖神であるニニキネとウガヤであったはず。
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