宇陀。菟田。莵田。
ウタは「ハタ(端)」「ハテ(果)」「ウト(鵜戸)」などと同様、「端・果・外れ・境界」などの意の普通名詞。
神武が東征してヤマトに入った時点では、まだ固有の地名にはなっていなかったようだ。
神武の東征軍はヤタカラスの先導で、荒坂からアスカ道を穿ち、ウタ(国境)のウガチ村に出る。
また神武は、丹生川のウタ(端)に、アサヒハラのアマテル・トヨケの二神を写して祭る。
【宇陀】ウダ −広辞苑より−
奈良県宇陀郡。大和朝廷時代、菟田県(うだのあがた)・猛田県(たけだのあがた)があった。
『老翁が穿つ あすか道 軍
率き行く ミチヲミが 峰越えウタの ウカチ村』29文
『斎瓮を造り 丹生川の ウタに写せる 朝日原 アマテル・トヨケ 二祭は ミチオミぞ』29文
『夢に神の告げ "畏祝
奉て 神祭れ 宇陀・隅境も 逢境も かわせ邪霊を 残りなく これ潰人の 魄
留む 疫病成す故"』33文
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