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一から学ぶ みかさふみ講座 第15回 [2022.5.26]
みかさふみ 酒法の文 (4)
著者:おあずけ2号 (斎名:駒形一登)
著者HP:ホツマツタエ解読ガイド https://gejirin.com
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さかのりのあや (その4)
酒法の文 https://gejirin.com/mikasa02.html
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みあつけれはや あすみあさ さむかわあひる
そてひちて うすのにこころ またきとて
なもうひちにと すひちかみ
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身 熱ければや 明す三朝 冷川浴びる
袖 浸ぢて ウスの和心 全きとて
名もウビチニと スヒヂ尊
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■熱ければや (あつければや)
「熱かったからであろうか」 という意です。
【ばや】 (広辞苑)
(接続助詞バに係助詞ヤのついたもの)
・活用語の已然形について、既定条件をあげ、下に疑問の意を伴う。
…から…のだろうか。
■明す三朝 (あすみあさ)
アス(▽明す)
は「一巡して改まる・新たに始まる」という原意で、
この場合は 「日が改まる」 ことをいい、アクル(明くる)・ヨク(翌)
と同義です。
アス(▽明す)の名詞形がアサ(朝)、また
アスカ(▽明す日)の略がアス(明日)です。
モモヒナキ 交ぐ合ひ後の 三日の日の 川水浴びて ウビチニの
上から下へ 花婿に水 参らせふ 参らせふ 〈ホ25-4〉
■冷川/寒川 (さむかわ)
これは特定の川を指すものではなく、「熱さを冷ます川水」
の意と考えます。
■袖浸づ (そでひづ)
ヒヅ(浸づ・▽卑つ・▽冷つ)
は 「下る・沈む・湿る・冷える」 などが原義で、
この場合は 「袖を水に沈める・袖が水に濡れる」
という意です。
天地創造の過程で、軽く上った陽
は 空と風と火に分かれ、
重く下った陰 は 水と埴に分かれました。それゆえ、男尊が
“袖を水に沈める”
というのは、「下った陰と交わる」 ことを象徴します。
■ウスの和心 (うすのにこころ)
ウスは ウ(▽上・▽大)+ス(▽下・▽小) で、天地創造の過程において
軽く上って天となった
「陽」と、重く下って地となった
「陰」 を意味します。
ウは ウヱ(上)・ウホ(大) などの略、スは
スヱ(末)・スヒ(垂) などの略です。
ニ(▽和・似)は ニル(似る)の名詞形で、「合う/合わすさま・和合」
が原義です。
ココロ(心)は 「回帰/帰還する所」
が原義で、「中心・本質・根源」 を表します。
したがって “ウスの和心” は 「陽陰/男女の和合の本質」
という意となります。
■全き (またき)
マタシ(全し)の連体形が名詞化したもので、
「完全であるさま・完璧であるさま」 を意味します。
マタシの連用形が マタク/マッタク(全く)です。
■ウビチニ (▽泥因)
天地創造の過程で、陽は空と風と火に分かれ、陰は水と埴に分かれます。
ウビ(泥)とは 「水と埴の混合」
をいいますから、これは 「陰/女」 の別表現です。
チニ(▽因)は チナミ(因み)と同じです。
よってウビチニは「陰/女と因む者」という意で、
史上初めて女性と交わったモモヒナキ(百雛木)の成人後の名です。
ウビチニの ‘ウ’ は ウス(上下・陽陰・男女)の ‘ウ’ に音を合せてもいます。
■スヒヂ (▽水土)
スヒ(垂・水)+ヒヂ(土) の短縮で、「水と土」
を意味します。
スヒ(垂・水)は スユ(饐ゆ・▽垂ゆ)の名詞形、
ヒヂ(土)は ヒヅ(浸づ・▽卑つ・▽冷つ)の名詞形で、
どちらも 「下る・沈む・劣る・衰える」 などが原義です。
土=埴 ですから、スヒヂは ウビ(泥)の同義語で、「陰/女」
を意味します。
これは史上初の女性であるモモヒナミ(百雛実)の成人後の名です。
スヒヂの ‘ス’ は ウス(上下・陽陰・男女)の ‘ス’ に音を合せてもいます。
★水 (みづ / すひ・すい)
“水” には2つの概念があります。
(1) 下に降ったもの
これは天地創造の過程で、重い陰が
“下降して生じたもの”
という概念で、垂(すい)・末(すえ) と同じです。
(2) 上澄み・純粋・精髄・透明
こちらは
ビーカーに入れた泥水をかき混ぜて、しばらく放置した後の
“上澄みの透明な部分” という概念です。これは “水”
であると同時に
瑞(みづ)・蜜(みつ)であり、また 粋(すい)・髄(ずい)・瑞(ずい)
です。
【概意】
身が熱かったからであろうか、男尊は翌三日の朝、川の冷水を浴びる。
その時に袖を水に沈めるが、それはウス(陽陰/男女)の和合の本質に
まったく適うと、名もウビチニ尊、またスヒヂ尊とした。
このウビチニの水浴びが、今日も行われている
水祝
の起源となります。
トヨタマ姫を 御后に 典侍・内・下侍 二人ずつ 六局も成り 調えば
その明す三日に トヨツミが 玉笠揃え 玉椀 六人に持たせ 水捧ぐ
声を揃えて
『モモヒナキ 交ぐ合ひ後の 三日の日の 川水浴びて
ウビチニの 上から下へ 花婿に水 参らせふ 参らせふ』
〈ホ25-4〉
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これもうひにる ふることや おおきすくなき うすのなも
このひなかたの をはかむり うおそてはかま
めはこそて うはかつきなり
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これも泥和る 振言や 多き少なき ウスの名も
この雛形の 男は冠 大袖・袴
女は小袖 上被衣なり
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■泥和る (うびにる)
ウビ(泥)は 「陰/女」 を表します。
ニル(▽和る・似る)は 「合わす・寄す・和合する」
などが原義です。
ですから「陰/女を寄せる・陰/女と和合する」という意になります。
これは ウビチニ(泥因) の名の意味と同じです。
■振言 (ふること)
「めでたい言葉・吉祥の言葉・慶賀の言葉」 をいいます。
フル(▽振)は フル(振る)の名詞形で、「勢いづくさま・栄えるさま」
を表し、
“◯◯選手は今日は振るわず” とか、“不振”
とか言う場合の “振” と同じです。
■多き少なきウス (おおきすくなきうす)
“多き少なき” は ウス(▽上下) の意味を説明するもので、
「上下・高低・大小・多少・陽陰・男女」
などを意味します。
結ばれた男尊と女尊に付けられた ウビチニとスヒヂ
の名も
「陽陰/男女とその和合」 を表したものです。
したがってウスは 夫婦一対の君を意味する キミ(木実)
と同じです。
ウズ/ウヅ(珍)という、神や君の
「高貴さ・貴重さ・尊厳」 を表す言葉が
あるのですが、これはウビチニ/スヒヂの ウスが起源だろうと考えます。
また ウズ(珍)に漢音を付けたのが チン(朕)ではないかと疑ってもいます。
■この雛形 (このひながた)
“雛形” とは 「雛を形に表した物」
です。人を形に表したのが “人形” ですので、
“雛形” は 「年少の人を形に表した物」
をいい、つまりは 「雛人形」 です。
“この雛形” とは 「モモヒナギ/モモヒナミをモデルとした人形」
ということです。
■大袖 (うおそで) ■小袖 (こそで) ■被衣 (かづき)
雛人形に着せる大袖と小袖は、ウスを袖口の大きさで表したものです。
被衣は
「頭を覆うようにして纏う衣」 をいいます。
【概意】
これ (ウビチニという名) も “陰/女と和合する”
という吉祥の言葉である。
多少・大小 を意味する “ウス” もまた、陽陰/男女とその和合を意味する。
この二尊をモデルとする雛人形の、男には
冠と大袖と袴を着せ、
女には 小袖とその上に被衣を着せる。
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このときに みなつまいれて やそつつき
もろたみもみな つまさたむ あめなるみちの そなわりて
たくひなるよりとしかそえ ゐもつきあまの まさかきや
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この時に 皆 妻入れて 八十続き
諸民も皆 妻定む 陽陰和る道の 具わりて
類成るより 年数え 五百継ぎ天の 真榊や
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■八十 (やそ)
これは 「供や臣を表す数」 です。
ヤソベ(八十侍)、ヤソガミ(八十守)、ヤソドモ(八十供)、
ヤソモノベ(八十モノベ) などともいいます。
■陽陰和る道 (あめなるみち)
「陰陽和合の道」 です。「魂と魄の和合の道」
と言ってもいいです。
ここでは 「天界の神霊が人として地上に生まれ来る道」
と考えてください。
ウビチニとスヒヂが男と女に分かれて生まれてきて、ようやく今の人間と
同じく、男女の交わりによって子孫を生むようになりますが、それ以前にも
子孫を生む別の道があったはずで、それも含めての、人の生まれ来る道を
いいます。
★魂(たま)と魄(しゐ) ★タマノヲ (霊の緒)
“魂” は 陽霊 (陽性のエネルギー体)、“魄” は陰霊 (陰性のエネルギー体)
です。
魂と魄をタマノヲで結ぶことで人の霊(たま)となり、これにより地上生命が生じます。
タマは “魂” と “霊” の2種あることに注意が必要で、タマ(魂)+シヰ(魄)=タマ(霊)です。
またシヰ(魄)は肉体の元になるため、「陰霊」
をいう他に 「身体・肉体」 を表す場合があり、
やはりその区別に注意を要します。タマシヰはおおよそ 魂魄(こんぱく)
と同じ概念です。
・陽陰より授く 魂と魄 結ぶ命の 霊・中子 〈ホ17-6〉
・神とモノ 魂・魄 結び 霊の結(たまのを)と 〈ミ6〉
こんぱく【魂魄 hun po】 (世界大百科事典)
人間の精神的肉体的活動をつかさどる神霊、たましいをいう。
古代中国では、人間を形成する陰陽二気の陽気の霊を魂といい、陰気の霊を魄という。
魂は精神、魄は肉体をつかさどる神霊であるが、一般に精神をつかさどる魂によって
人間の神霊を表す。人が死ぬと、魂は天上に昇って神となり、
魄は地上に止まって鬼となるが、特に天寿を全うせずに横死したものの鬼は
強いエネルギーをもち、人間にたたる悪鬼になるとして恐れられた。
人の死後間もなく、屋上から死者の魂を呼びもどす招魂や鎮魂の習俗儀礼は、
こうした観念から生まれたものである。
■五百継ぎ天の真榊 (ゐもつぎあまのまさかき)
天の真榊の植え継ぎの500本目が満ちるその時に、男女の性別が分かれ、
別個体の男女の交わりによって子孫をつくるようになった、ということです。
【概意】
この時に皆も妻を入れて、臣たちもそれに続き、諸民もみんな妻を定めた。
神霊が世に生まれ来る道が具わって、人の類が地上に現れて以来
年を数えれば、五百回植え継いだ天の真榊の天寿が満ちる頃のことであった。
本日は以上です。それではまた!