キビタカシマ

→ きひたかしま
  

吉備高嶋。 
安芸のチノ宮を発った神武東征軍は、ここに三年滞在し中国の統治を固め、軍備を整える。 
場所については諸説あるが、児島湾の高島が有力。現在は児島水道、東西両大川の口の間の浅水中にあり。この島及び南岸宮浦は神武帝駐師の故跡という伝承が残る。
  

★吉備子洲とは児島のことで、吉備穴海とは児島湾のことです。実は戦国時代まで、児島は吉備の国の南部に横たわる一つの大きな島でした。児島だけでなく、箕島、早島など島のつく地名の多くは、海に浮かぶ島だったと考えられています。現在の岡山平野の大部分は海の中だったわけです。
  

安芸の国 チノ宮に越す 三月には 吉備高嶋に 中国の 政 治めて 三年在す 内に調ひ 御船行く』29文

  

  

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