1962年 (昭和37年) 12月18日 火曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 |
ライヴ演奏:スター・クラブ/ハンブルグ (初日) |
これはビートルズのスター・クラブ (Star-Club)
への3度目の滞在出演の初日であった。これでドイツ・ハンブルグへの遠征は5回目、そしてこれが最後のものとなる。過去においては1960年8月~11月にインドラ・クラブ
(Indra Club) とカイザーケラー
(Kaiserkeller)、1961年4月~6月にトップ・テン・クラブ
(Top Ten Club)、1962年4月~5月と11月にスター・クラブ
(Star-Club) に出演していた。
スター・クラブはドイツ・ハンブルグのセント・パウリ (St. Pauli) 区のグローセ・フライハイト (Grosse Freiheito) 39番に、1962年4月13日に開店している。カイザーケラー (Kaiserkeller) で用心棒を努め、後にトップ・テン・クラブ (Top Ten Club) に引抜かれたホルスト・ファッシャー (Horst Fascher) が、マンフレッド・ヴァイスリーダー (Manfred Weissleder) と共同経営者で、ホルストとビートルズは親友であった。
1962年12月31日までのこの滞在中、クリスマスの夜を除く13日間で演奏時間は延べ39時間となった。彼らは1周間一人当たり750ドイツマルク (67ポンド) の報酬を受け取った。
1962年12月までにビートルズのイギリスでの業績は確実に上昇の波に乗っていた。彼らのデビューシングル『Love Me Do』はヒットチャートで好成績を上げ、それに続く2枚目のシングル『Please Please Me』もすでにレコーディングを完了していた。またブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) のマネージメントは、長い間欠けていたプロ気質を彼らに与えた。
彼らのイギリスでの評判が急速に高まっていたため、彼らはこの契約義務の履行に気が乗っていなかった。故郷では自曲をヒットチャートに乗せ、ライヴショーでの名声、TVやラジオ番組への出演などを彼らはを楽しんでいたのであった。彼らがハンブルグやその人々に対して持っている親愛にもかからわず、今やこの町が彼らのキャリアに貢献できることはほとんど無くなっていたのである。
このドイツ滞在中に録音されたビートルズの演奏が、1977年に2枚組の「Live! at the Star-Club in Hamburg, Germany; 1962」でリリースされている。これはスター・クラブのステージマネージャー、エイドリアン・バーバー (Adrian barber) が、ミュージシャンのテッド・キングサイズ・テイラー (Ted 'Kingsize' Taylor) の要請により録音したものである。
バーバーはグルンディッヒ (Grundig) の家庭用オープンリール・テープレコーダーと1本のマイクを使った。一般的には1962年12月31日の演奏の録音と受け止められているが、クリスマスから大晦日にかけての複数日の録音が混在している可能性が高いという。
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