1960年 (昭和35年) 10月4日 火曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 | |
ライヴ演奏:カイザーケラー/ハンブルグ (初日) |
インドラ・クラブ (Indra Club)
での48夜に引き続き、ビートルズはブルーノ・コシュミダー
(Bruno Koschmider)
の所有するもう一つのクラブ、カイザーケラー (Kaiserkeller)
に移る。
この日1960年10月4日、彼らはカイザーケラーへの56夜連続の出演をスタートした。そしてそれは11月28日に終了する。ビートルズはもう一つ別のリヴァプールのバンド、ロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズ
(Rory Storm and the Hurricanes)
と時間交替制で夜明けまでのステージを分かち合う。そのもう一つのバンドにはリンゴ・スター
(Ringo Starr) がドラマーで参加していた。
ハンブルグの夜の長時間に及ぶ演奏を乗りきるため、ピート・ベスト
(Pete Best) を除く4人はプレルディン (Preludin)
を精力剤として飲み始めた。これはドイツ製の食欲抑制剤で覚醒効果もあり、一般にプレリーズ
(Prellies) の名で知られていた。
この錠剤は彼らを夜明けまで突っ走らせた。そして演奏を終えるとバンビ・キーノ (Bambi Kino) の彼らの寝床に戻った。バンビ・キーノはコシュミダーが所有する映画館の名である。
カイザーケラーはグロッセ・フライハイト (Grosse Freiheit) の36番、シュムック通り (Schmuckstrasse) の角にある。常連客は主に黒服の暴力団員、海軍兵、風俗営業者であった。そのクラブの用心棒がホルスト・ファッシャー (Horst Fascher) だった。
カイザーケラーに出演中のある晩、ジョンがステージに現れないので、ファッシャーが探しに行くとジョンはトイレで女といちゃついていた。ホルストはバケツの水をぶっかけてステージに上がれと指示する。ジョンは怒って「濡れたままでどうやってステージに上るんだ」とぼやくが、ファッシャーは「ステージに上るんだ!濡れていようが裸であろうが俺の知ったことじゃない!」と突っぱねる。しばらくして観客の笑いのどよめきが聞こえるので走って行って見ると、ジョンはパンツ一丁で頭から便座をかぶってギターを弾いていた。
そうしたクラブはけっこう荒っぽかった。軍人の客から乱暴されることが多かったね。吸っているタバコの匂いで国籍がわかるんだ。イギリスのタバコの匂いのする海軍兵がクラブにいると、トラブルの予感がしたもんさ。イギリスの奴らはなれなれしかった。「おお、英語じゃないか!
よーし! お前らこの曲やれ!
これやれよ!!」酒が進むにつれて、彼らはこのクラブが自分の所有であるように思い始める。それはドイツ人はもちろん、誰もが嫌うことだ。やがてある段階でウェイターと口論が始まる。ウェイターにはあるシステムがあって、ホィッスルを吹くと10人ほどの仲間が出てくるようになっている。彼らはみんな巨体のマッチョマンだ。彼らはウェイターとしての能力で選ばれているわけじゃないんだ。
ホルスト・ファッシャーは僕らのとてもいい友人だった、今でもその関係を保ってる。そうした人々のことを理解できるようになって、おそらく一番に驚いたことは、彼らは心から僕らに親愛を感じていたということだった。彼らは兄弟のように僕らを愛した。ハンブルグを離れる時はいつも悲しかった。特に僕らが少し名声を得はじめた最後の頃は、僕らと会うのはこれが最後になると彼らは感じていたかもしれない。みんな酔って泣いていた。「とても愛しているよ。君らは本当の兄弟みたいだ。飲んでくれ!」ヤクザっぽい兄ちゃんたちは、実はとてもとてもセンチメンタルな奴らなんだ。僕らは何人かと本当にいい友だちになった。 |
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ポール・マッカートニー |
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ライヴ演奏 インドラ・クラブ/ハンブルグ (最終48日目) |
レコーディング 「サマータイム」 |