1962年 (昭和37年) 8月23日 木曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 |
ジョンとシンシアが結婚 |
1962年8月23日のこの日、ジョン・レノン (John Lennon)
とシンシア・パウエル (Cynthia Powell)
はリヴァプールのマウント・プレザント (Mount Pleasant)
登記事務所に婚姻届を提出した。
ブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) が介添人となり、ジョージ・ハリスン (George Harrison) とポール・マッカートニー (Paul McCartney) も出席した。シンシアの異父兄とその妻は出席したものの、この結婚を認めなかったジョンの叔母のミミ (Mimi:Mary Smith) は欠席した。
式が始まった途端、向かいの建物で空気さく岩ドリルによる工事が始まり、すべての言葉はその騒音に飲み込まれてしまう。登記者が花婿に1歩前に進み出るように言うと、ジョージが進み出で、茶番の度合いを高めた。
その後エプスタインのおごりで、クレイトン・スクウェア (Clayton Square) のリーシーズ (Reece's) というレストランで、スープとチキンとトリュフのセットメニューを食べた。このリーシーズは1938年にジョンの両親のアルフ (Alfred Lennon) とジュリア (Julia Stanley) が結婚祝の食事をした同じレストランであった。
結婚したその夜、ジョンはチェスター (Chester) のリバーパーク・ボールルーム (Riverpark Ballroom) でのショーにビートルズの一員として出演している。
ジョンとシンシアは共にリヴァプール・アート・カレッジ
(Liverpool Art Collage)
に在学中の1957年に出会い、その翌年に交際を始めた。1962年の中頃、彼女は妊娠に気が付く
(このペアは避妊はしなかった)。彼女がジョンにそれを告げた時のジョンの反応は、「シン、それには一つしか無い。僕らは結婚しなければならない。」
ブライアン・エプスタインは、ビートルズの一人が結婚していたとなるとファンは裏切られた感じを持つだろうと考えた。そのためジョンは結婚を秘密にしていた。
エプスタインはフォークナー通り (Falkner Street) 36番にある彼のフラットを、ジョンとシンシアに無料で貸してやった。2人は1963年4月にジュリアン・レノン (Julian Lennon) が生まれるまでそこに住んだ。それ以降は実質メンディップス (Mendips) に移って、ジョンの叔母ミミと一緒に住んでいる。ただその頃までには、ジョンはバンドと共にほとんどロンドンで生活するようになっていた。