1962年 (昭和37年) 8月23日 木曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 |
ライヴ演奏:リバーパーク・ボールルーム/チェスター |
これはビートルズのチェスター
(Chester) のリバーパーク・ボールルーム (Riverpark Ballroom)
への2回目の出演だった。
この日はまたジョン・レノンの新婚初夜でもあった。彼はこの日リヴァプールのマウント・プレザント (Mount Pleasant) 登記事務所にシンシア・パウエル (Cynthia Powell)との婚姻届を提出していた。しかし彼は新婦と夜を過ごすことより契約の履行を優先した。
この時のサポート出演者はザ・レモ・フォー (The Remo
Four)
であった。伝えられる所では、彼らがビートルズが演奏を予定していたレパートリーのいくつかを演奏したため、ジョンは怒ってステージに上り、まだ自分たちの予定曲をやるつもりなのかと噛み付いたという。
そのダンスホールは細長くて、楽屋はステージの右側にあった。僕らの出番の中程での演奏中に、ジョン・レノンがステージにかけ上って来て、僕らに向かって怒鳴った。
「俺達のレパートリーを何曲やれば気が済むんだ?!!」 僕はものすごくムカついて、ドラムの椅子から立ち上がった。僕が彼に一番近い位置にいたんだ。幸運にもデイヴ・ウィリアムズ (Dave Williams) が僕を押し留めてくれた。僕らはそこらの新人じゃなく経験を積んだグループだ。同業のバンドに対してあんな態度は決してとらないものだ。 当時荒っぽい地区に住んでいれば、常に自分で自分の身を守る術が身に付いたもので、僕は本能的に反応しただけなんだ。 デイヴが僕を抑えた後はただ演奏を続けた。結局あの当時、彼らは別のグループの1つでしかなかった。彼らは確かに人気があったが、それはロリー・ストームだって、ファロンだって、ブルージーンズ、キングサイズ、ジェリーだってみんな同じだった。そしてどのグループも人気曲をカバーしてたんだ。自分たちだけの曲もあれば、多くのグループが同じ曲をやる場合だってあった。 ステージを降りた後、その日にジョンは結婚したことを知った。ブライアン・エプスタインが介添人で結婚を内密にしたがった。ファンが知ったらビートルズのイメージを傷つけると思ったからだ。ポールとジョージも証人として式に出席した。ジョンの叔母のミミは結婚に反対だったため出席を拒否した。ブライアンは結婚パーティーをリヴァプールのリーシーズでの結婚朝食にすり替えた。またシンシアは妊娠していたことも後にわかった。 こうした事情をすべて考慮して、僕らは彼を許した。彼にとって過酷な1日だったんだろう。 |
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この会場はチェスターのユニオン通り (Union Street)
2番にあり、もともとはパブであったが、20世紀初めに拡張されてグローヴナー・スケート・リンク
(Grosvenor Skating Rink)
となり、その後「Ack」として知られるブロードウェイ・ダンシング・アカデミー・ボールルーム
(Broadway Dancing Academy Ballroom)
となる。1950年代にリバーパーク・ボールルームと改名されるが、1963年に閉鎖され、その後取り壊される。現在は銀行の支店となっている。
ビートルズはリバーパーク・ボールルームには4回出演している。
1962年: | 8月16日・23日・30日、9月13日 |
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