【節会】セチヱ −広辞苑より−
古代、朝廷で、節日その他公事(くじ)のある日に行われた宴会。この日、天皇が出御して酒食を群臣に賜った。元日・白馬(あおうま)・踏歌(とうか)・端午(たんご)・重陽(ちようよう)・豊明(とよのあかり)・任大臣など。せち。
【元日の節会】ガンジツノセチエ −広辞苑より−
元日の朝賀の後に天皇が紫宸殿で百官に宴を賜る儀式。暦、氷の様、腹赤(はらか)の奏の後、三献の儀、奏楽などがある。三節会の一。
【白馬節会】アオウマノセチエ −広辞苑より−
宮廷年中行事の一。正月七日、朝廷で、左右馬寮から白馬を庭上に引き出して天覧の後、群臣に宴を賜う儀式。この日に青馬を見ると年中の邪気を払うという中国の風習による。本来は青馬を引いたのを、日本で白馬を神聖視したところから後に白馬に変更、字は「白馬」と改めたがアオウマとよむ。七日の節会。
【踏歌の節会】トウカノセチエ −広辞苑より−
足を踏みならして歌い舞う集団舞踏。隋・唐の民間行事で、日本に入り、歌垣(うたがき)と結びついて古代、宮中で行われた。歌に巧みな男女を召して、年始の祝詞を歌い舞わせたもの。男踏歌は正月の一四日または一五日に、女踏歌は一六日に行なった。天皇が紫宸殿で踏歌を御覧になり、この間、五位以上の者を召して宴を賜った宮中の年中行事。
【端午の節会】タンゴノセチエ −広辞苑より−
五節句の一。五月五日の節句。古来、邪気を払うため菖蒲(しようぶ)や蓬(よもぎ)を軒に挿し、粽(ちまき)や柏餅を食べる。
【重陽】チョウヨウ −広辞苑より−
(陽の数である九が重なる意) 五節句の一。陰暦九月九日で、中国では登高という丘に登る行楽の行事がある。わが国では奈良時代より宮中で観菊の宴が催された。菊の節句。九月の節句。重九。
【豊明の節会】トヨノアカリノセチエ −広辞苑より−
奈良時代以降、新嘗祭・大嘗祭の翌日、宮中で行われた儀式。天皇が豊楽殿(のち紫宸殿)に出て新穀を食し、諸臣にも賜る。賜宴の後に五節の舞があり、賜禄・叙位などの儀があった。
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