1962年 (昭和37年) 9月11日 火曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 |
録音:PS I Love You / Love Me Do / Please Please Me |
場所 |
EMIアビーロード第2スタジオ (Studio2/EMI Studios, Abbey Road) |
プロデューサー |
ロン・リチャーズ (Ron Richards) |
エンジニア | ノーマン・スミス (Norman Smith) |
録音楽曲 | PS I Love You, Love Me Do, Please Please Me |
『How
Do You Do It』と『Love Me
Do』を録音した1962年9月4日のレコーディング・セッションに続き、ビートルズはデビューシングルのレコーディングのためロンドンのアビーロード
(Abbey Road) に戻った。
前回の『Love Me Do』の録音でリンゴ・スター (Ringo Starr)
のドラミングのクオリティに不安を感じたジョージ・マーティン
(George Martin)
は、この日のレコーディングには経験豊富なセッション・ドラマーのアンディ・ホワイト
(Andy White)
を起用しようと準備していた。アンディは標準的な5ポンド15シリングという報酬を受けている。
僕はすでに彼らのことを聞いていた。というのは僕はヴァーノンズ・ガールズ (Vernons Girls) のリン・コーネル (Lyn Cornell) と結婚していたが、彼女たちもリヴァプールのグループだったんだ。彼らは僕に対して冷たいだろうと思ったが、とても気さくで冗談好きな連中だった。僕は彼らが自作曲をやってるのに驚いた。あの当時ほとんどのグループはアメリカの歌のカバーか、ティン・パン・アレー (Tin Pan Alley) 物だったから。 | |
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アンディ・ホワイト |
5:00pm~6:45pmに行われたこのセッションは、ジョージ・マーティンも途中から参加しているが、ロン・リチャード
(Ron Richard) がプロデュースした。リンゴは『PS I Love
You』ではマラカスに、『Love Me
Do』ではタンバリンの演奏に格下げされた。
僕はロンドンで働き、たくさんのTV出演もあった。ある金曜に、月曜にEMIで3時間の仕事ができるかと尋ねる電話があった。
知らされたのはそれだけだった。リヴァプール出身の妻からビートルズの名前は聞いていたが、彼らについてそれ以外のことはほとんど知らなかった。 しかし彼らはすばらしかった。僕はジョンとポールと綿密に打合せた。彼らは楽譜を書かなかったので、僕らはただ一緒に現合で作業した。 彼らはすごかった。リンゴとはあまり話さなかった。僕は曲を覚えるのに懸命で、彼はそのテイクではタンバリンを叩いた。僕はほとんど作曲者のジョンとポールと話をした。 それは本当に楽しい経験だった。僕が感心したのは、彼らは本当にいい曲をやり、しかもそれはオリジナル作品で、また斬新なものだったことだ。あの頃はみんなアメリカ音楽のコピーで、それなりに成功していたが、彼らは何か新しいことをやっていた。どこか違ってて特別だったことが誰でもわかったと思うよ。でもあれほど特別になるとは思わなかった。 |
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アンディ・ホワイト |
彼らは『PS I Love You』10テイク、『Love Me
Do』18テイクを録音した。彼らはまたアンディ・ホワイトをドラムとした『Please Please
Me』も録音している。ビートルズは9月4日のセッションでもこの曲をやっているが、ジョージ・マーティンはそのスローなテンポとロイ・オービソン
(Roy Orbison) 風のアレンジが気に入らなかった。
ビートルズは新アレンジの『Please Please Me』を持って来て、それがこの日録音された。当時のEMIは不要なアウトテイクは処分するというポリシーだったが、この日のセッションで録音された『Please Please Me』の1テイクが1994年に再発見され、「アンソロジー1」でリリースされている。
この日のセッション終了後、最良のテイクがモノラルにミックスダウンされ、EMIは『Love Me Do/PS I Love You』をビートルズのデビューシングルとしてプレスを開始する。当初のプレスではリンゴがドラムを演奏した9月4日の『Love Me Do』が採用されているが、後のプレスではアンディ・ホワイトのバージョンとなる。
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