アジハヤオジンジャ

阿遅速雄神社
大阪市鶴見区放出東3丁目。 
祭神: 阿遅鋤高日子根神 配 八劔大神
  

古くは阿遅経宮(あぢふのみや)又は浦明神と称され、のちに八劒大明神と称えられた。味鋤高彦尊を祭神とするが、阿遅速雄尊は祭神の御子神である。高鴨神社の古文書にも味鋤速雄尊として摂社に祭祀された記録がある。ここは高鴨神社から発した葛城川の水が大和川に合流して旧河内潟湖に注ぐ旧河口の高台に位置し、一本の水路で接続していた。阿遅速雄神社は阿遅速雄尊の一族がこの地に港を開いて、父祖神を祭ったものである。

天智天皇(三十八代)七年十一月、新羅の僧の道行は尾張国熱田宮に鎮り座す御神劔、 天叢雲劔即ち草薙御劔を盗み出し、船にて本国へ帰途、難波の津で大嵐に遇ひ流し流され、古代の大和川河口であった当地で嵐は更に激しく、 これ御神罰なりと御神威に恐れをなし、御劔を河中に放り出し逃げ去りたり(之が地名となり、放手 放出 今 「はなてん」と云ふ)。後この地の里人、この御劔をお拾ひ申上げ、大国主命の御子  阿遅鋤高日子根神御鎮座の此の御社に合祀奉斎すること数ケ年後 草薙御神劔の御分霊は永遠に当御社に留まり座し、奉斎す。御神劔は天武天皇(四十代)の皇居、飛鳥の浄見原宮に御うつし申上げ更に朱鳥元年六月、皇居より尾州熱田の御社に奉還し給ひ、永へに熱田神宮に鎮り座します。

  

  

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