1963年 (昭和38年) 2月5日 火曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 |
ライヴ演奏:ゴーモン・シネマ/ドンカスター |
ヘレン・シャピロ
(Helen Shapiro) を主役とするビートルズのUK全国ツアーは1963年2月2日にスタートしていたが、2月3日と4日はビートルズ単独でキャバーン・クラブに出演したため、この日のドンカスター
(Doncaster)・ゴーモン・シネマ (Gaumont Cinema)
の公演がツアー2日目となった。
ビートルズはその会場に近いリージェント・ホテル
(Regent Hotel) に滞在したが、そのホテルオーナーの15歳の息子は彼らがそこにいると知って興奮した。
そのショーのチケットはすでに持っていたが、母からビートルズはここに宿泊してると聞いて僕はものすごく興奮した。数分後、僕は上の階に上って行った。そこにはTVラウンジがあるんだが、ビートルズは部屋の中でギターをかき鳴らしていた。お客さんの邪魔をすることはできないので、部屋には入らなかった。でもガラス戸の所に行って聞いていた。この時彼らは初期のヒット曲を作っていたんじゃないかなと今思うよ。
僕はすぐに翌朝の新聞配達を休む電話を入れた。だから翌朝、兄と一緒に彼らの2つのツインルームにお茶を運んでいくことができた。残念ながら僕らがモーニング・ティーを持って上がっていった時には、彼らは全員寝ていた。僕らは近所にある学校へ行ったが、二人とも具合が悪くなってすぐに帰ってきた。たぶんビートルズがまだホテルにいると思って興奮してたためだ。とにかく帰ってみるとそこにビートルズがいた。4人ともレストランで朝食を終えようとしていた頃だった。彼らは僕らの他にウェイトレスや厨房の人間にも、パーロフォンのプロモーション・カードにサインを書いてくれた。 彼らは全員が宿帳に記入している。それには名前と日付と国籍の欄があって、ジョージは「George Harrison, British, February 5 1963」と記入した。だけどリンゴは年を間違えて「Ringo Starr, British, February 5 1962」と書いた。ジョンは名前をサインしているが、国籍欄には「white man (白人)」と書き、ポールは「green man (緑人)」と書いている。二人ともリンゴに続いて「1962」と書いた。おもしろいのはその後に続く6人の客も、誰かが間違いに気づいて「1963」と訂正するまで、みんな「1962」と書いているんだ。 僕の父と母がホテルの所有者だったが、後年僕は2人に「ベッドを売りに出したら?」と言ったことがある。ビートルズに関わるものは何でもみんなが欲しがった。彼らが寝たシーツとかね。「どうしてそうバカなんだ」と父は言った。彼らが記入した宿帳は銀行の金庫に今は入ってる。でもそのコピーは展示しているよ。 |
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ミック・ロングワース |
フォト・ニュース・エージェンシー (Foto News Agency)
のためにチャーリー・ワースデール (Charlie Worsdale)
が、このコンサートの写真を撮っていた。彼は出演者のインタビューを取るキャロル・ループ
(Carol Roope) と一緒に来ていた。
[楽屋で]
彼らはポータブル・プレーヤーでレイ・チャールズ
(Ray Charles)
のレコードを鳴らしていた。他にチャック・ベリー
(Chuck Berry) やボ・ディッドリー (Bo Diddley)
なんかも。僕は彼らがレイ・チャールズを聞いてることに興奮した。なぜなら僕は彼の大ファンだったから。彼らは観客の反応の仕方についての冗談を言い合っていた。彼らは観客をネタに楽しんでいた。それは今や大部分が絶叫する少女たちで、その絶叫に彼らの音楽は飲み込まれていた。
僕は会場の両翼から彼らの演奏シーンを撮影したが、あまり演奏は聞こえなかった。明らかだったのは、彼らが観衆の中に興奮を創造していたということだった。彼らがBIGになるのは間違いないように思えた。 |
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チャーリー・ワースデール |
このアールデコ風の会場は1934年の9月にオープンし、2,020の座席と幅67フィートのステージを持つ。バディ・ホリー
(Buddy Holly) やローリング・ストーンズ (The Rolling Stones)
など数多くのミュージシャンがこのシネマで演奏している。この建物は1964年に改築され、1987年にはオデオン
(Odeon) となった。しかし2009年11月に取り壊された。
ビートルズはドンカスターのゴーモン・シネマには3回出演している。
1963年 | 2月5日、3月22日、12月10日 |
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ライヴ演奏 キャバーン・クラブ (夜) |
ライヴ演奏 グラナダ・シネマ |