1963年 (昭和38年) 1月24日 木曜 前の記事 目次 次の記事
 ライヴ演奏:アセンブリー・ホール/モールド

  
この日の昼、ブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) のNEMS (North End Music Store) レコード店に非公式に出演したビートルズは、夜には北ウェールズのモールド (Mold) でのショーに出演した。彼らがこの地で公演するのはこれ1度きりである。

このブッキングは1962年の10月に、モールドの都市部議会によってなされた。彼らは出演報酬50ポンドで契約しているが、この頃の彼らの平均的な出演料からすると非常に低額である。ビートルズはこの契約の遵守に気が進まなかったが、エプスタインはやるべきだと主張して譲らなかった。

このイベントのチケットは200枚販売された。他の出演者はデイヴ・ローマン&ザ・チャリオッツ (Dave Roman & The Chariots) であった。

ショーの終了後、ジョージ・ハリスンは近くのブロートン (Broughton) に住む叔母に会いに行った。他の3人は二人の少女と一緒にホリウェル (Holywell) のタルボット (The Talbot) 、今に言うビューフォート・アームズ (The Beaufort Arms) に行った。

その少女たちの母はパブの女将だった。彼女らはビートルズにサンドイッチを作って食べさせるために寝てる母を起こした。彼女はそれに対して30シリングを彼らに請求している。ポール・マッカートニーは帰るまでのおよそ1時間半、そのパブにあったアップライトピアノを弾いたと言われている。
  

私はハワーデン高校 (Hawarden Grammer School) の生徒だったけど、パートタイムでデイヴ・ローマン&ザ・チャリオッツのローディ (roadie) もやっていた。だからビートルズがアセンブリー・ルームズで演奏した夜、私もモールドにいた。私の忘れ得ぬ思い出は...ビートルズのために、ビールとスコッチを道路の反対側のパブまで取りに行かなければならなかったこと。なぜかというと外は寒いというのに女の子たちが群がって、彼らは外出できなかったのね。ジョン・レノンが皮の手袋をしたまま、トマトケチャップのかかったホットドッグを食べるシーン。ジョンが一人の女の子の太ももにサインするシーン。楽屋でジョンとポールとリンゴのサインをもらったこと。階段の一番上でジョージ・ハリスンを見つけたこと。彼はリヴァプールに帰る途中にハワーデンの叔母さんを訪ねると言って早くに帰ったわ。

 

イアン・M・ミリントン

  
彼らのウェールズでの公演は、リル (Rhyl) が1962年7月14日、1963年7月19日・20日、1962年11月24日にプレタティン (Prestatyn)1963年1月24日にモールド (Mold)、同6月22日にアバーガベニー (Abergavenny)、同8月12~17日にスランディドノ (Llandudno)、1963年5月27日、1964年11月7日、1965年12月12日にカーディフ (Cardiff) で開催されている。
  

  

  

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