1962年 (昭和37年) 10月27日 土曜 前の記事 目次 次の記事
 初のラジオ・インタビュー/バーケンヘッド

  
この日の8:45pmからビートルズはバーケンヘッド (Birkenhead) のハルム・ホール (Hulme Hall) に出演し、4回目で最後の演奏を行うのだが、それに先立ってラジオ・クラッターブリッジ (Radio Clatterbridge) によるインタビューが録音された。これは彼らの現存する最古の肉声によるインタビューである。

このラジオ局はクリーヴァー (Cleaver) とクラッターブリッジ (Clatterbridge) という2つの地元病院の患者をリスナーとし、ボランティアによって運営されるホスピタル・ラジオ (Hospital radio) であった。ビートルズはモンティ・リスター (Monty Lister) によってインタビューされ、マルコム・スレッジル (Malcolm Threadgill) とピーター・スメサースト (Peter Smethurst) から追加の質問を受けた。リスナーは『Music With Monty』と『Sunday Spin』という2つの番組でこのインタビューを聞くことができた。
  

  
ビートルズは『Love Me Do』のリリースからまだ3週間しか経っておらず、こうした経験はほとんどなかった。インタビューの多くはグループについての基本的な情報の紹介に費やされた。ジョン・レノン次のシングルになることを期待して『Please Please Me』に取り組んでいると語り、ポールはジョンがビートルズのリーダーであるとはっきり言っている。

マーク・ルイソン (Mark Lewison) が1986年に出版した「The Beatles Live!」には、このインタビューを収録したソノシートが付属していて、それ以降広範に海賊版が出回った。またポールの『My Bonnie』についてのコメントは1995年の「アンソロジー1」に収録された。
  

モンティ:今宵、マージーサイドの新生グループ、ザ・ビートルズに挨拶できることは非常な喜びです。私は彼らの名前は知っていましたが、これからそれぞれの名前と顔を照合してみたいと思います。さて、あなたはジョン・レノンですね。

ジョン:はい、そうです。

モンティ:ジョン、あなたはグループの中では何をやっていますか?

ジョン:僕はハーモニカ、リズム・ギター、そしてヴォーカルです。そう言われてます。

モンティ:ハーモニカ、リズム・ギター、ヴォーカル。次はポール・マッカートニーです。それはあなたですか?

ポール:はい、そうです。僕です。

モンティ:それであなたは何をやってますか?

ポール:ベース・ギターを弾いて歌います。たぶん。そう言われてます。

モンティ:それはヴォーカルとはまた違ったものなのですか?

ポール:えーっと、はい。そうです。

モンティ:それからジョージ・ハリスンです。

ジョージ:ごきげんよう。

モンティ:ごきげんよう。あなたの役目はなんですか?

ジョージ:えーっと、リード・ギターとある種の歌唱です。

モンティ:リード・ギターを演るということは、あなたがこのグループのリーダーということですか? それとも…

ジョージ:いえいえ、つまりわかるでしょう。もう1つのギターはリズムです。チャン・チャン・チャンですね。

ポール:彼はソロギターなんです。実際はジョンがこのグループのリーダーです。

モンティ:私にはよくわかりませんが、みなさんには理解されたことを望みます。そして後方で、グループの背後にあって騒がしく音を出しているのはリンゴ・スターです。

リンゴ:ハロー。

モンティ:あなたはこのグループには新しいんですよね?

リンゴ:はい、ただいま9週間です。

モンティ:『Love Me Do』のレコーディングではあなたが演奏してるんですか?

リンゴ:はい、僕が演ってます。僕はレコードに載ってます。

 (クスクス笑う声) 

リンゴ: (コミカルな声で) それはレコードの深層部に刻まれてますよ。わかりますか?

モンティ:さて、えーっと…

リンゴ:僕はドラマーです。

モンティ:あそこであなたが振り回している凶器は何ですか? あなたのドラムスティックですか?

リンゴ:ええあれは、旅に出かけるので、僕が見つけて買ったただのスティックです。そしてそれに名前を書きました。いいことでしょ。

モンティ:旅に出かけると言いましたが、それが次の質問につながります。どこへ行くのですか?

リンゴ:ドイツのハンブルグです。2週間です。

モンティ:あなたはあちらで過酷で長期間の仕事をしてきたんでしょう?

リンゴ:ええ、他の3人はけっこう長く行ってました。僕は他のグループと行ってたんです。僕がビートルズと行くのはこれが初めてです。

モンティ:ではポール、聞かせて下さい。どのようわけでドイツで演奏するようになったのですか?

ポール:はい、それは昔のエージェントがすべて手配しました。

 (笑)

ポール:僕らは最初はかつてのマネージャーと一緒に現地に行きました。それはリヴァプールのジャカランダ・クラブ (Jacaranda Club) のアラン・ウィリアムズ (Allan Williams) という人です。彼はその仕事を見つけて来て、僕らはそこに行ったのですが、その後は自分たち自身の…。

ジョン:蒸気。

ポール:蒸気… (笑)

ジョン:…いわゆる。

ポール:いわゆる。そしてその後は行ったり来たり、行ったり来たりしてます。

モンティ:すごく忙しかったのではないですか?

ポール:はい、確かに。それで僕は片足を失いました。わかるでしょ、ほとんど戦争でした。

 (笑)

モンティ:ジョージ、あなたはリヴァプールで育ったのですか?

ジョージ:はい。現時点まではそうです。

モンティ:どのあたりですか?

ジョージ:ええっと、ウェーバーツリー (Wavertree) で生まれて、ウェーバーツリーとスピーク (Speke) で育ちました。飛行機がたくさんある所ですね。

モンティ:するとあなた方はみんなリヴァプール種なんですか?

リンゴ:はい。

ジョン:種類は… はい。

ポール:オー、イェー。

リンゴ:リヴァプール種のポールです。

モンティ:さて私が聞いた所では、若い時あなたはロン・ウィチャリー (Ronald Wycherley) と同じ学年にいたとか?

リンゴ:ロナルドね。そうです。

モンティ:…今はビリー・フューリー (Billy Fury) ですね。

リンゴ:セント・シラス (St. Silas primary school) でね。

モンティ:どこですって?

リンゴ:セント・シラス。

ジョン:本当か?

リンゴ:ミュージカル・エキスプレス誌 (New Musical Express) は、ディングル・デール (Dingle Dale Secondary modern school) と書いてるけど、あれは違うんだ。

ポール:そう、あれは間違いだ。 セント・シラス・スクールだよ。

モンティ:それではクリーヴァー病院とクラッターブリッジ病院での番組で協力してくれている若きDJを紹介します。彼の名はマルコム・スレッジルで16歳です。きっと彼はティーンエージャーの視点からの質問があると思います。

マルコム:はい。ありがとうございます。あなたたちは以前ドイツのレーベルでレコーディングしていると聞いてます。

ポール:うん。

マルコム:それらはどんなものでしたか?

ポール:僕らが作ったレコードじゃないんだ。まずはじめにトニー・シェリダン (Tony Sheridan) という人とレコーディングした。当時僕らはハンブルグのトップ・テン・クラブ (Top Ten Club) というクラブで仕事をしてた。それで僕らは彼と一緒に『My Bonnie』という歌を録音した。それはドイツのヒットチャートでは5位まで上ったんだ。

ジョン:アフトング! (Achtung:ドイツ語で「尊敬」) 

ポール:だけどこっちじゃ鳴かず飛ばずだった。あれはあまりいいレコードじゃなかったんだけど、ドイツ人はああいうのがちょっと好きなんだろうね。それからジョージとジョンが自作したインストゥルメンタル曲もやってて、それはフランスではトニー・シェリダンのEPでリリースされたんだけど、こっちでは発売されなかった。僕は1枚持ってるよ。それが一部始終なんだ。わかるだろ。何事も起こらなかった。

マルコム:あなたたちは『PS I Love You』と『Love Me Do』を自作してますよね? あなた方の誰が作ったのですか?

ポール:あれはジョンと僕だよ。2人の共作だ。僕らはある種の契約に合意してるんだ。

ジョン:均等割り。

ポール:そう。常に50:50の持ち分として、権利や何かも一律に対等にしてるんだ。だからほとんどの曲は単に僕ら2人の50:50の共作ということになってる。ジョージも確かにこれのインストゥルメンタルな部分を書いている。でも大部分はジョンと僕の作だ。僕らは100以上の曲を書いてるけど、その内半分も実際には使っていない。僕らがたまたま『Love Me Do』と『PS I Love You』のアレンジを変えてレコード界の人に聞かせたら、彼らはそれらが気に入ったみたいなんだ。だからそれらがレコードになったということさ。

モンティ:今話してくれたのはポール・マッカートニーでした。

マルコム:レコーディングしようと思っている作品は他にもありますか?

ジョン:あの時もう1曲録音しているんだけど、まだ完全に仕上がってなかった。だから次回にまた持って行って、彼らの反応を見たいと思ってる。

 (長い沈黙)

ジョン: えー、私からは以上です。

 (笑)

モンティ:マルコム、質問してくれてありがとう。では最後にお聞きしたいのですが、私たちはポート・サンライト (Port Sunlight) のハルム・ホール (Hulme Hall) でこれを録音していますが、有名になる以前にこっちサイドに来たことのある人はいますか? この地区を知ってますか?

ポール:僕らはこの地区で演奏してましたが、「有名」がどういう意味なのかわかんないな。

ポール:もし「有名」という意味がヒットチャートにランクインしているということなら、僕らはここにいた。2ヶ月前にもここにいた。2回来てたんじゃないかな。

ジョン:僕はロック・フェリー (Rock Ferry) に親類がいる。

モンティ:そうなんですか?

ジョン:はい。マージー川のあらゆる岸にいます。

ポール:僕もアプトン通り (Upton Road) のクロートン (Claughton) に親類がいるよ。

リンゴ:バーケンヘッドに友だちがいるぞ!

 (笑)

モンティ:私も欲しかった。

ジョージ:僕はチェスターの男を知ってるぞ!

モンティ:それはとても危険な発言ですね。あそこには精神病院がありますから。さてピーター・スメサーストもここにいて質問したそうにしています。

ピーター:はい1つ質問したいことがあります。これはみんなが聞きたいと思ってると思います。初めてTVに出演した時の印象を聞かせて下さい。

ポール:とても不思議な感じだった。僕らはひどく緊張するんだろうなと思った。みんな「カメラを見たらただちに200万人が注目してると思えよ」と言ってた。後になって僕らが出演した『People And Places』は200万の人が見てる番組だということを聞いた。ところが不思議なことに僕らは緊張しなかった。僕らはそんなことはまったく考えなかった。TVはラジオよりはるかに楽だった。ラジオは今でも緊張する。満員の観客がいるラジオ放送よりTVはずっと簡単だったよ。

モンティ:今やっているこのインタビューも緊張しますか?

ポール: (ジョークっぽく) はい、それはもう。

モンティ:とにかくクラッターブリッジとクリーヴァーの両病院でたくさんのリスナーが聴いていることを望みます。マディ (Maddy) からロバート・カート病棟 (Robert Cart Ward) のアイリーン (Eileen) に送る曲に、パーロフォンのあるレコードのA面がリクエストされています。そして奇遇にも同じ病棟のアイリーンからマディに送る曲にも同じリクエストが来ています。ではビートルズからその曲は何か彼女らに告げてもらえますか?

ポール:そうだな~。僕は『Love Me Do』だと思う。

ジョン:パーロフォンのR4949だ。

 (笑)

ポール:Love Me Do

モンティ:私は彼女らの答えは『PS I Love You』に違いないと思いますね。

ポール:イェー。


  

  

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