1962年 (昭和37年) 8月19日 日曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 |
ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜) |
この日はキャバーン・クラブのイブニングショーへの92回目の出演だった。他の出演者はザ・ゼニス・シックス・ジャズ・バンド
(The Zenith Six Jazz Band)、スウィンギング・ブルー・ジーンズ
(Swinging Blue
Genes)、ペピー&ザ・ニューヨーク・ツイスターズ (Peppy
& The New York Twisters) であった。
またこの夜はリンゴ・スター (Ringo Starr)
がビートルズの公式メンバーとして初めてキャバーン・クラブに出演したショーでもあった。彼は非公式にはピート・ベスト
(Pete Best) の代役でキャバーンで演奏したことはあった。
僕はドラマーの変更については心配していなかった。なぜなら僕が思うには、彼らをビートルズたらしめていたのはドラマーではなかったからだ。だけどマシュー通りには「2度とキャバーンを支持しない!」と言いながら泣いている女の子がいたよ。 | |
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ボブ・マグレー
(キャバーンDJ) |
ピート・ベストを追放した決断に対してビートルズに敵意を向ける者もいた。
「リンゴを出せ! ピートを入れろ!」と叫びながらビートルズの演奏を拒絶する者もいた。これがビートルズの没落につながるのではないかという大きな疑問が湧き上がり、みんなそれを話題にしていた。たいして重要視されていなかったグループで演奏していたリッチー (リンゴの通称) が、今やマージーサイド (Merseyside) のトップグループのメンバーになっていた。彼はとても素晴らしいロック・ドラマーだったが、例えばジョニー・ハッチ (Johnny Hutchinson) みたいに、彼よりいいドラマーはそこら辺にうようよしていた。 | |
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イアン・エドワーズ
(イアン&ザ・ゾディアックス) |
ファンたちはピート・ベスト追放の抗議を遠慮なく口にした。ビートルズのメンバーは各々それらに対応したが、ジョージ・ハリスンは熱烈な観衆の一人に殴られて、目の周りに隈をこしらえた。
僕はみんなが「ピートを出せ!」と叫んでいたあの日、その場にいた。リンゴはおどおどしていた。ポールはいつもの「ごめん」という両手を上げるしぐさをしていたが、外交的であろうとはしていた。ジョンも無神経ではいられなかった。ジョージは皮肉さを表したため、ミッキー・フリン (Mickey Flynn) からポカリとやられた。彼はウェイン・ルーニー (Wayne Rooney) みたいな奴だった。 | |
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デイヴ・ドーヴァー (リヴァプールのミュージシャン) |
ビートルズはランチタイムショーも含めると、これがトータル217回目のキャバーン出演だった。ビートルズのキャバーン・クラブへの正確な出演回数は判っていない。しかし1961年2月9日から1963年8月3日までの期間に、少なくともランチタイムショーで155回、イブニングショーで125回の演奏を行っている。