1962年 (昭和37年) 8月15日 水曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 |
ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜) ピート・ベスト最後の出演 |
この日はキャバーン・クラブのイブニングショーへの91回目の出演だった。また38回目の昼・夜のダブルヘッダーでもあった。
しかし何よりこの日が重要なのは、ピート・ベスト (Pete
Best)
がビートルズの1員として演奏する最後のショーだったということである。彼が初めてジョン・ポール・ジョージと演奏した日から数えて2年と3日後である。
8月15日の水曜の夜、僕らはキャバーンで演奏した。その後いつものように次の夜の段取りについて話した。翌晩はチェスター
(Chester) のリバーパーク・ボールルーム (RiverPark
Ballroom)
に出ることになっていた。通常の手順ではニール・アスピノール
(Neil Aspinall)
と僕が、他のメンバーをニールのヴァンに拾って会場に向かう。
ジョンが帰る時、僕は言った「明日迎えに行くよ、ジョン。」 「いや、明日は他の用事がある」と彼は言った。いつものパターンと少し違ったけれど、その時はおかしいとは思わなかった。ジョンは家庭的な期間を過ごそうとしていた。8日の内にシンシア (Cynthia Powell) と結婚することになってたんだ。彼女はもう妊娠してた。 |
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ピート・ベスト |
次の日、マネージャーのエプスタイン (Brian Epstein)
はピート・ベストに、NEMS (North End Music Store)
のオフィスに来てくれと頼む。彼はその依頼に対しても特におかしいとは感じなかった。
エプスタインは、明日の朝、彼のオフィスで僕に会いたいと言った。それはまったく普通のことだった。というのは僕は家の電話でいくつか契約を決めていたから、彼は会場と出演料について聞いてくるだろうと思ってたんだ。何を気にすることなく次の朝行ってみると、彼は言った「彼らはもう君にいて欲しくないんだ。」 | |
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ピート・ベスト |
その一方でエプスタインは、アール・プレストン&ザ・TTs
(Earl Preston & The TTs) のドラマー、リッチー・ガルヴィン
(Ritchie Galvin)
に対してビートルズに加わることを依頼している。ガルヴィンはそのオファーを辞退している。
ブライアン・エプスタインはリッチにビートルズへの参加を頼みました。リッチは未成年だったので、彼はボブ・ウーラーと一緒に父親に会いに行きました。リッチはピート・ベストの入れ替えには同意できないし、ジョン・レノンの皮肉が嫌いだと言いました。それが原因で仲違いが起きたんだとリッチは思ったんでしょう。それと自慢になってしまいますが、彼は私と離れたくなかったんです。ビートルズに入ればリヴァプールを離れる仕事が多いだろうと思ったからです。彼は後悔なく言いました「もしビートルズに入ってたら、君も子供もこの人生も得られなかった。」彼らがリンゴを選んだ時、私はずいぶん驚きました。彼はチビで痩せてヒョロヒョロでおかしな口ひげを生やしてました。リンゴはゴシゴシ磨く必要があると私はいつも思ってました。けれどもうまくいきましたね。 | |
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アン・アプトン
(リッチーの彼女) |
ビートルズはランチタイムショーも含めると、これがトータル216回目のキャバーン出演だった。ビートルズのキャバーン・クラブへの正確な出演回数は判っていない。しかし1961年2月9日から1963年8月3日までの期間に、少なくともランチタイムショーで155回、イブニングショーで125回の演奏を行っている。
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