1962年 (昭和37年) 1月27日 土曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 | |
ライヴ演奏:エインツリー・インスティチュート/リヴァプール |
これはビートルズがエインツリー・インスティチュート
(Aintree Institute)
で行った最後の公演だった。この会場はリヴァプール・エインツリー
(Aintree) のロングムア通り (Longmoor Lane) にあった。
このイベントはブライアン・ケリー (Brian Kelly)
が率いるビーケー・プロモーション社 (Beekay Promotion)
の主催だが、ビートルズがブライアン・ケリー主催のショーに出演するのはこれが最後となった。ショーの終了後、ケリーは15ポンドを小銭で払ったが、これがマネージャーのブライアン・エプスタインを怒らせたのである。エプスタインは1964年に彼の自叙伝の中でそのことを書いているが、ビートルズがビーケーのイベントに出演することを2度と許さなかった。
ある機会に出演料の15ポンドをコインで支払われたことを私は思い出します。6ペンス銀貨、2シリング銀貨、半ペニー貨まで混じっていました。私は大騒ぎしました。同じ15ポンドでも価値が違うということではなく、それはビートルズに対する侮辱だと思ったからです。マネージャーたる者はそのアーチストに向けられる無条件の礼儀のために闘うべきだと、私は感じたのです。
それでも結局、私は15ポンドを紙幣で受け取ることはできませんでした。しかし私は自分の思う所を主張し、私とビートルズはそれで本当によかったと感じました。 |
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ブライアン・エプスタイン |
エインツリー・インスティチュートは60年代の初めには人気のジャイヴ・クラブ
(jive club)
だった。グランドナショナル障害競争が毎年開催される、有名なエインツリー競馬場の近くのブラック・ブル・クラブ
(Black Bull club) の裏手にあったが、2007年に取り壊された。
ビートルズはエインツリー・インスティチュートに、1961年1月7日から1962年1月27日までの間に合計31回出演している。
1961年: | 1月7日・13日・14日・18日・21日・27日・28日、 2月8日・10日・15日・18日・22日・25日、3月1日・4日・8日・11日、 7月21日・28日、8月4日・12日・18日・19日・26日、 9月2日・9日・16日・23日、10月28日、11月11日 |
1962年: | 1月27日 |
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