1960年 (昭和35年) 11月30日 水曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 | |
ポールとピート、ドイツ国外に追放 |
セント・パウリ警察署 (St. Pauli police station)
に一夜拘置された後に釈放されたポールとピートの2人は、少し休息するためトップ・テン・クラブ
(Top Ten Club)
の上の彼らの新しい宿に行った。しかし午後の早い時間にドアをドンドンと叩く音で起こされる。ピートが鍵を開けると、それは2人の私服の警察官だった。
彼らは急いで服を着るように言われ、そしてハンブルグ犯罪警察本部 (Hamburg's Kriminal police headquarters) に車で連行される。担当官は彼らに告げた、「君たちは深夜に飛行機でロンドンに強制送還される。」
2人は最後に1度だけトップ・テン・クラブに連れ戻され、5分だけ荷物をまとめる時間を与えられた。ピートはドラムセットを残していくことを余儀なくされた。そして空港に護送される夜まで拘置所に置かれた。
ビートルズはなぜ2人が国外追放になるのかよくわからなかった。彼らのドイツ語の不自由さが警察手続きの理解を妨げた。またイギリス領事に電話したいとする彼らの要請は拒絶された。
ポールとピートは1960年12月1日にロンドン空港に着く。彼らは残っている金をユーストン (Euston) へのバス賃とリヴァプールへの列車切符に費やした。
ジョンはその後もしばらくハンブルグに留まった。そしてスチュアートはアストリッド・キルヒャー (Astrid Kirchherr) の所へ移り住むことを選択する。
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ポールとピート ハンブルグで逮捕 |
ジョン ハンブルグを去る |