1960年 (昭和35年) 11月21日 月曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 | |
ジョージ、ドイツ国外に追放 |
ドイツ警察当局は、ジョージ・ハリスンが18歳未満であることを発見したことを受けて、この日彼をハンブルグから追放する。
その摘発は前日の11月20になされた。ジョージは彼無しでも演奏が続けられるように、夜を徹してジョンに彼のギターパートを教えた。そして翌日のこの日、ジョージはドイツを去った。
僕は故郷に帰らなければならなくなったが、それは絶妙なタイミングだった。というのは僕らはトップ・テンというずっとクールな別のクラブからオファーを受けていたんだ。僕らはカイザーケラーの出演の合間にそこへ行っては、トニー・シェリダン
(Tonny Sheridan)
とかの演奏を見てたものさ。そこの経営者はブルーノ・コシュミダー
(Bruno Koschmider)
から僕らを密猟して、僕らはすでに2回くらいそこで演奏してたんだ。そのクラブは本当にいい雰囲気で、すごい音響システムもあった。素晴らしく見えたし、ギャラも少し多かった。
だからこの時点で、僕らはカイザーケラーを辞めてトップ・テンに行こうとしてた。また実際行きたかった。そしてちょうどその時に警察が来て、僕を街から追い出したというわけなんだ。それで僕はそこを出て故郷に帰るけども、他のみんなはそこを出てこの素晴らしいクラブに行こうとしてた。 アストリッドは (Astrid)、たぶんスチュアートも一緒だったと思うけど、僕をハンブルグ駅に降ろした。フク・ファン・ホランド (Hook of Holland) までは長い列車の旅で、そこからデイ・ボートに乗った。それは何世代もかかったように感じたよ。あまり金もなかったんで、足りることを祈ったよ。ハリッジ (Harwich) からロンドンのリヴァプール・ストリート駅 (Liverpool Street Station) まで列車に乗り、そこからユーストン (Euston) までタクシーで来て、そこからリヴァプール行きの列車に乗った。今でも思い出せるよ。僕はハンブルグで買ったアンプと安物のスーツケース、他にも箱や紙袋をたくさん持っていた。それにギターだ。周りに酔った兵隊が大勢いる中、この多すぎる荷物を持って列車の通路に立っていた。そしてようやくリヴァプールに着いて、家までタクシーに乗った。ぎりぎりだった。文無しになって家に帰った。この帰郷は僕の持っているものすべてを奪ってくれたよ。 |
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ジョージ・ハリスン |
ジョージは、列車のチケット、チップ、タクシー料金などに有り金すべてを費やして、ひとりイギリスに帰った。その旅は24時間かかった。他のビートルズはハンブルグに残ってもうしばらく演奏を続ける。
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