1960年 (昭和35年) 11月1日 火曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 | |
ブルーノ、ビートルズとの契約を破棄 |
カイザーケラー (Kaiserkeller)
を経営するブルーノ・コシュミダー (Bruno Koschmider)
は、ビートルズがライバル店であるペーター・エクホルン
(Peter Eckhorn) のトップ・テン・クラブ (Top Ten Club)
に出演すると口約束したことに怒り、彼らとの契約を破棄した。にもかかわらずビートルズはそれから3週間、カイザーケラーに出演を続けている。
実はコシュミダーが彼らを追放したいと思う理由が他にもあった。17歳のジョージ・ハリスンは、夜のクラブで働くには若すぎたのである。
毎晩10:00pmになると警鐘が鳴った。ドイツの警察官がステージに上がって「午後10時になりました。18歳未満の若者はこのクラブを退場しなければなりません。身分証明のチェックを行います。」とアナウンスした。やがて僕らはこれに慣れて、ジョークでこのアナウンスを真似したものだった。僕は少しドイツ語を知っていた。僕とジョージは学校で習っていたんだ。他のみんなはフランス語を習ったけど、僕らはドイツ語とスペイン語を教わった。だから割りと簡単にそういうバカなことがやれたんだ。しまいにはクラブを大いに沸かせて、客もみんな喜んでたよ。 | |
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ポール・マッカートニー |
ビートルズはこのチェックの意味を知っていた。そして労働許可証を持ってないにもかかわらず、しばらくは警察のチェックをうまくかわしていた。
いかついドイツの制服を着て少年のパスポートを見て回る警察官を、僕らは「ゲシュタポ」と呼んでいた。あんなのは見たことがなかった。リヴァプールではパブにはまり込まない限りはどこにでも入れたし、ましてや入場資格を検査して回る奴なんていなかった。あれは戦争の名残だったんだと思うよ。 | |
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ポール・マッカートニー |
この日コシュミダーがビートルズに宛てた告知書は次のように言っている。
下記の署名者はこれによって、ジョージ・ハリスン氏とビートルズのバンドに対し、1960年11月30日に退去するよう告知する。上の告知は、ジョージ・ハリスン氏がまだ17歳であることを発見した公官庁の命令によるものである。 |
ジョージ・ハリスンは、結果的に1960年11月21日にドイツ国外へ追放される。しかしその後もビートルズはさらに8日間、ジョージ抜きでカイザーケラーへの出演を続けた。
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