1960年 (昭和35年) 5月10日 火曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 | |
オーディション:ブルー・エンジェル/リヴァプール |
ビリー・フューリー/ラリー・パーンズ |
ロンドンをベースとする音楽プロモーターのラリー・パーンズ (Larry Parnes) が、ジョニー・ジェントル (Johnny Gentle) の北イングランド・スコットランドツアーのバックバンドのオーディションにリヴァプールにやって来る。
このオーディションはブルー・エンジェル (Blue Angel)
というクラブで行われた。このクラブはシルバー・ビートルズ
(The Silver Beetles)
の新しいマネージャー、アラン・ウィリアムズ (Allan
Williams)
が経営していた。ここは以前はワイバーン・社交クラブ
(Wybern Social Club)
として知られていて、リヴァプールのシール通り (Seel
Street) 106-108番地にあった。
5月にラリー・パーンズがオーディションに来たんだ。彼はロンドンの著名なエージェントで、彼のタレントは誰もが獰猛な芸名を持っていた。例えばロニー・ウィチャリー (Ronnie Wycherley) は『ビリー・フューリー』になった。けど彼は誰よりも穏やかで優しいリヴァプール男だった。僕らの知る限りでは彼が最初だったかな。それからマーティー・ワイルド (Marty Wilde) もラリーのタレントで、彼は別の過激な芸名も持っていた。しかしラリーは新しい歌手を見つけていて、そのバックバンドを探していたんだ。そして誰かがリヴァプール界隈にいくつかバンドがあると彼に知らせた。それで彼はブルー・エンジェルにやって来たというわけだ。ビリー・フューリーも一緒についてきた。 | |
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ポール・マッカートニー |
そのオーディションには希望に胸を膨らませるリヴァプールのバンドが多数詰めかけた。その中にはカス&ザ・カサノバス
(Cass and the Cassanovas)、デリー&ザ・シニアズ (Derry and the
Seniors)、ジェリー&ザ・ペースメーカーズ (Gerry and the
Pacemakers)、クリフ・ロバーツ&ザ・ロッカーズ (Cliff Roberts
and the Rockers)、そしてシルバー・ビートルズ (The Silver
Beetles) などがいた。
シルバー・ビートルズはここ数ヶ月の間、全員揃っての演奏をしていなかったし、またドラマーのトミー・ムーア
(Tommy Moore)
は来なかったが、この日の彼らは希望に満ちていた。
ラリー・パーンズの歌手のバックバンドを選ぶオーディションにはブルー・エンジェルを会場に使った。そこは当時ワイバーン社交クラブと呼ばれてた。事前に僕らは白い模様の入った紐で結ぶ靴を買った。僕らはとても貧乏で揃いの衣裳なんか持ってなかった。けどこの時は黒いシャツとこの靴で揃いのユニフォームにしようとしたんだ。
僕らのドラマーは現れなかった。だからカス&ザ・カサノバスのジョニー・ハチンソン (Jonny Hatchinson) に加わってもらった。僕らの演奏は特別良くも悪くもなかったと思うよ。 |
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ジョージ・ハリスン |
もう一つの問題はスチュアート・サトクリフ (Stuart
Sutcliffe)
だった。かれはまだベース・ギターを練習中だったため、その手際の悪さを隠そうとして観客に尻を向けて演奏したのだった。
僕らはスチュアートに向く方向を変えろと言わなければならなかった。「むっつりした偉大なエルビスのポーズをとれ!」気がついてた人もいたと思うけど、僕らがみんなAキーで演奏している時に、スチュアートは別のキーでやってた。でも彼もすぐに合わせてきたので、めでたくオーディションにパスしてジョニー・ジェントルのツアーに行くことになった。彼は他のタレントと違ってぜんぜん過激な芸名じゃなかったね。 | |
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ポール・マッカートニー |
このオーディションにはビリー・フューリーも来ていた。ジョンは彼からサインをもらう所を撮影されている。
5月18日にラリー・パーンズから電話が入った。そしてシルバー・ビートルズは、ジョニー・ジェントル (Johnny Gentle) の7日間のスコットランド・ツアーに行くことが決まる。出発はその2日後であった。ジェントルの本名はジョン・アスキュー (John Askew) と言う。
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ライヴ演奏 フォックス&ハウンズ |
ライヴ演奏 レイソム・ホール |