1957年 (昭和32年) 6月22日 土曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 | |
クオリーメン ライヴ演奏 ローズベリー通り |
この日クオリーメン (Quarrymen)
はリヴァプールのローズベリー通り (Rosebery Street)
で2回の演奏を行っている。まずこの日の午後、止まっている石炭運搬トラックの荷台で演奏。夜には路上パーティー
(street party) に参加した。
僕らの最初の出演はローズベリー通りで、それは英連邦記念日 (Empire Day) の祝賀の日だった。彼らはこの祝賀パーティーを路上でやったんだ。僕らはトラックの荷台で演奏した。ギャラは無かった。その後のパーティーでも演奏した。もしかすると2~3シリングはもらったかもしれない。でも僕らが演奏するのは、おおよそ自分たちの娯楽のためだった。ギャラのことは気にしてなかったんだ。 |
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ジョン・レノン
(1967) |
この日はジョン王 (King John)
が1207年に、リヴァプールを公式に帝国の一都市と認定し、その市民の自由を保証する特許状
(Royal Charter)
を授与したことを祝う750回目の記念日だった。
このイベントはローズベリー通り84番地のマジョリー・ロバーツ夫人
(Mrs Marjorie Roberts)
によって企画された。彼女の息子で印刷屋のチャールズ (Charles)
は、クオリーメンのドラム奏者コリン・ハントン (Colin
Hanton)
の友人だった。チャールズはハントンのバスドラムに「The
Quarrymen」のロゴを印刷している。パーティーで演奏することを提案したのは、このチャールズだった。
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この石炭運搬トラックは76番地の住人が所有するもので、彼はマイクのケーブル線を自宅の前窓を通すことも許可している。
2回目の演奏会にはジョンの母のジュリア (Julia) もいた。彼女はジョンの義理の妹に当たるジュリア (Julia Dykins) とジャッキー (Jacqueline Dykins) を連れて見に来ていた。2人の少女はトラックのテールボードに座っていた。一方、母ジュリアはロバーツ家の居間の窓から外を眺めていた。
クオリーメンの2回目の演奏中、近所のハザレイ通り (Hatherley Street) の若者の一団がクオリーメンのメンバーに、とりわけジョンに対して喧嘩をふっかけてくる。クオリーメンの面々はロバーツ夫人の家に駆け込んだ。一団は「ジョンを出せ」と窓を叩き続ける。結局最後には警官が一団に帰るように警告し、クオリーメンは近くのバス停まで護衛された。
リヴァプール・ポスト・アンド・エコー紙 (Liverpool Post and Echo) は、ローズベリー通りをリヴァプール郊外におけるBEST装飾通りとして表彰した。住民はそれを祝う二次パーティーを開催したが、それにはクオリーメンは招かれていない。
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