1963年 (昭和38年) 2月19日 火曜 前の記事 目次 次の記事
 ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜)/リヴァプール

  
1963年の2月までは、ビートルズがキャバーン・クラブ (Cavern Club) に出演するのはまったく珍しいことではなかった。しかしながらこの頃までに彼らの名声は相当に高まり、彼らを見たいとする需要は高かった。

そんな状況であったが故に、この夜のショーのためにクラブへの入場を並んで待つ人々の行列はイベント開催日の2日前に始まった。その期待の大きさの原因の1つは、これがビートルズの2週間ぶりのキャバーン出演だったことがあげられる。

もう一つの理由は『Please Please Me』シングルの売れ行きに関する話題の盛り上がりであった。ニュー・ミュージカル・エクスプレス (New Musical Express) とディスク誌 (Disc magazine) のシングルチャートでそれが1位になったというニュースが、キャバーンのDJのボブ・ウーラー (Bob Wooler) によってステージからアナウンスされた。

ウーラーはブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) からビートルズ宛てにキャバーン・クラブに送られた電報を読み上げた。彼が『Please Please Me』成功のニュースをアナウンスした時、なぜか観衆は静まり返った。ビートルズがもはや彼らだけの秘密でなくなったことを本当に実感させられたのである。

この夜のキャバーンの他の出演者は、リー・カーチス&ザ・オール・スターズ (Lee Curtis & The All Stars)、ザ・パスファインダーズ (The Pathfinders)、そしてフレディ・スター&ザ・ミッドナイターズ (Freddie Starr & The Midnighters) であった。ビートルズがステージに立っている間、観客の中にはオール・スターズのドラマー、ピート・ベスト (Pete Best) がいた。彼もビートルズも互いに避け合うことに苦痛を感じていたが、この夜がビートルズがピート・ベストを見る最後の機会となった。
  

撮影者 :マイケル・ウォード (Michael Ward)

  
これはビートルズの123回目のイブニングショーで、ランチタイムショーを加えると278回目のキャバーン出演だった。

ビートルズのキャバーン・クラブへの正確な出演回数は判っていないが、1961年2月9日から1963年8月3日までの期間に、少なくともランチタイムショーで155回、イブニングショーで125回の演奏を行っている。

この出演の後、ビートルズは車でロンドンに旅立っていった。

  

  

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リハーサル
キャバーン・クラブ (昼)
オーバー・ダブ
『Misery』『Baby It's You』