1963年 (昭和38年) 2月11日 月曜 前の記事 目次 次の記事
 録音:アルバム『Please Please Me』/ロンドン

場所

EMIアビーロード第2スタジオ (Studio2/EMI Studios, Abbey Road)

プロデューサー

ジョージ・マーティン (George Martin)

エンジニア ノーマン・スミス (Norman Smith) 
録音楽曲 There's A Place,  I Saw Her Standing There,  A Taste Of Honey
Do You Want To Know A Secret,  Misery,  Hold Me Tight,  Anna,  Boys
Chains,  Baby It's You,  Twist And Shout

  
ビートルズはこの日、アビーロード第2スタジオでのレコーディング・セッションで、デビューアルバム『Please Please Me』に収録される10曲を録音した。

アビーロードスタジオとは、ロンドンのセント・ジョンズ・ウッド (St. John's Wood) アビー・ロード (Abbey Road) 3番にあるEMIスタジオの通称である。

この日1日を通して3回のセッションが行われ、レコーディングが終了したのは10:45pmであった。2回のセッションはあらかじめ予定されていたものだが、3回目のセッションは追加で行われたものであった。
  

あれはとても寒い朝で、僕は彼らのことは何も知らなかった。実のところ僕はエンジニアのノーマン・スミスに「彼らは誰?」「誰がどの人?」と尋ねなければならなかった。そこで彼は僕や他の人に彼らを紹介した。彼らのスケジュールは過密で、前夜の公演を終えた後にロンドンに直行していた。それでも彼らは疲れも見せず、録音に来る他のグループと変わりなかった。

僕らは彼らの道具を運び入れてセッティングするのを手伝った。彼らは国中を忙しく駆け巡っていたので、アンプには故障や不具合があったのかもしれないが、彼らのアンプの裏には背蓋がなかった。それらはただの箱とスピーカーだった。それらをセッティングしながらゴミが無いかと内部をのぞき込むと、紙グズがいくつも入っていたので取り出した。その紙クズは女の子がフロアからステージに投げ込んだメモだった。それには「この曲を演ってください」とか「これは私の電話番号です」などと書いてあった。彼らはそれらを一応読んだ後、アンプの後ろに投げ入れたんだろうと僕は思ったが、アンプの中にはこんな紙クズがたくさん詰まっていたんだよ。

 

リチャード・ランガム (テープ操作手)
Prosoundsnews.com

  
1回目のセッションは10:00amに始まる。ビートルズはまず『There's A Place』を10テイク録り、それからその時点では「Seventeen」という仮のタイトルが付けられていた『I Saw Her Standing There』を9テイク録った。

この第1セッションは1:00pmに終了して、スタジオのスタッフは昼飯に出かけたが、ビートルズはそのままスタジオに残った。
  

僕らは「休憩しよう」と彼らに言ったが、彼らは残ってリハーサルしたいと言った。だからジョージとノーマンと僕がヒーローズ・オブ・アルマ (Heroes Of Alma) にパイで一杯やりに出かけている間、彼らはミルクを飲みながらそこにいたんだ。僕らが戻った時も、彼らはまだ演奏していた。僕らは信じられなかった。昼飯も食わずにぶっ通しで演奏し続けるグループなんてそれまで見たことがなかったんだ。

 

リチャード・ランガム (テープ操作手)
「The Complete Beatles Recording Sessions」マーク・ルイソン

  
2回目のセッションは2:30pmに始まり、6:00pmに終わる。ビートルズは『A Taste Of Honey』からスタートした。ベスト・バージョンはテイク5で、後にそれに対してポール・マッカートニーがダブル・トラッキング (Double Tracking) によりヴォーカルを重ねた。このオーバー・ダブ (Over Dub) は2テイク録られ、最終バージョンはテイク7となる。

そのオーバー・ダブが録られるまでの時間に、彼らはジョージ・ハリスンをリード・ヴォーカルとして『Do You Want To Know A Secret』を8テイク録る。

その2曲が完了すると、ジョン・レノンは『There's A Place』にハーモニカを重ねるオーバー・ダブが3テイク録られた。また『I Saw Her Standing There』に手拍子を重ねるオーバー・ダブを1テイク録った。

この午後のセッションで最後に録られたのは『Misery』で、これははじめはヘレン・シャピロ (Helen Shapiro) に贈られたレノン=マッカートニーのオリジナル曲である。この曲の録音は倍速のテープスピード (30インチ/秒) で録音された。これは後日ジョージ・マーティンが遅いテンポでピアノを重ね録りできるようにするためである。このオーバー・ダブは2月20日にジョージ・マーティンによってなされるが、その時ビートルズは出席していない。

この日3回目のセッションは7:30pm~10:45pmに行われた。これは本来10:00pmに終了予定だったが45分延びてしまった。ビートルズはまず『Hold Me Tight』を13テイク録った。これは後にセカンド・アルバムの『With The Beatles』のレコーディング時に、再び録音し直される。

この日に録られた『Hold Me Tight』は、最後まで演奏しているのは2つのテイクのみであった。5つはスタートでつまづき、1つは途中で流れた。4つのテイクは後でつなぎ合わせて使えるようにした編集用の断片であった。テイク9とテイク13が最終バージョンになる予定であったが、その予定は変更となり、またその録音テープは破棄された。

その後彼らはアーサー・アレクサンダー (Arthur Alexander) の『Anna (Go To Him)』を3テイク録り、『Boys』を1テイク録った。ここではリンゴ・スターがヴォーカルとドラムスを同時に演っている。

EMIスタジオは通常10:00頃には閉まるのであるが、アルバムをつくるにはもう1曲分足りなかった。何を入れるべきかの議論が休憩所で行われ、4~5の案が出た。
  

誰かがジョンのヴォーカルで『Twist And Shout』を演ろうと提案した。アイズレー・ブラザーズ (Isley Brothers) の古いナンバーだ。しかし開始から12時間が経過していたこの頃には、彼らの喉は疲れ傷んでいた。ジョンは特に声が出ないほどだったので、まずそれをなんとかしなければならなかった。ビートルズはスタジオのフロアにいて、僕らは調整室にいた。ジョンがZubes (のど飴の商品名) をもう2つ口に入れ、ミルクでうがいをして吐き出した後、僕らは始めた。

 

ノーマン・スミス (音響技師)
「The Complete Beatles Recording Sessions」マーク・ルイソン

  
ビートルズはステージで『Twist And Shout』をすでに数ヶ月演奏していたが、通常しめくくりのラストナンバーとして使っていた。そしてこの日もそうだった。彼らの全エネルギーをこの最終曲にチャージし、むきだしの心でジョンが叫ぶ。
  

最後の曲ではほとんど死にそうだった。僕の声はその後長いこと元に戻らなかった。僕の喉は何か飲み込むたびに、まるで紙やすりのようだった。ぼくはいつもあれをすごく恥じていた。本当はもっとうまく歌えたからだ。でも今となってはどうでもいい。全力を尽くしている狂乱男だった僕の様子を聞くことができるよ。

 

ジョン・レノン (1976年)
アンソロジー

  
2つのテイクが録られたが、最初に録られたテイクがアルバム『Please Please Me』に採用収録された。2番めのテイクは最後まで歌いきってはいるが、その声は使いものにならないほどに枯れていた。

スタジオにいた誰もが、何か本当に特別な経験をしたようにその時感じた。そしてその録音が終わると、ビートルズはプレイバックを聞くために調整室への階段を昇る。
  

通常のセッションは10:00pmを超えることはまず無い。10:05pmにセント・ジョンズ・ウッド駅 (St. John's Wood Station) に行けば、帰ろうとしているミュージシャンの半数に会えるよ。でもこの時は1回プレイバックを聞いた後に、彼らはもう1度何曲かのプレイバックを聞きたいと言ってきかなかった。僕はノーマンと時計を見て言った。「なあ、僕は明日の朝9時にはここに来てなきゃならないんだ。どうやって家に帰ればいいんだよ。」するとブライアン・エプスタインが「もう1度テープをプレイバックしてくれるなら、僕が車で送ってくよ」と言った。それで僕はテープを回し、彼は自分の小さなフォード・アングリア (Ford Anglia) を運転して、カムデン・タウン (Camden Town) まで僕を送ってくれた。

 

リチャード・ランガム (テープ操作手)
「The Complete Beatles Recording Sessions」マーク・ルイソン

  

  

  

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