1963年 (昭和38年) 2月2日 土曜  前の記事 目次 次の記事
 ライヴ演奏:ゴーモン・シネマ/ブラッドフォード

  
この日は記念すべきビートルズの初UKツアーの初日であった。それはヨークシャー・ブラッドフォード (Bradford, Yorkshire) のニュー・ヴィクトリア通り (New Victoria Street) にあるゴーモン・シネマ (Gaumont Cinema) で開催された。

広告に名前の載る6組の出演者の内、ビートルズは最下位であった。最上位に名前が記載されるメインスターは16歳の少女歌手ヘレン・シャピロ (Helen Shapiro) であった。このツアーは彼女のニュー・シングル『Queen For Today』の発売と同じ日にスタートしている。この新曲はすでに傾きかけていた彼女のキャリアの再起をかけたものであった。
  

私はアーサー [プロモーターのArthur Howes] とミーティングして、彼は言った。この新しいツアーでは、私はダニー・ウィリアムス (Danny Williams) とケニー・リンチ (Kenny Lynch) と一緒で、それからザ・レッド・プライス・コンボ (The Red Price Combo) が私のバックバンドとなり、デイヴ・アレン (Dave Allen) が司会を努め、それからこのビートルズという新しいグループも来る。

彼は私に彼らを知ってるかと聞いてきたけど、私はもちろん知っていた。私は彼らの『Love Me Do』が気に入っていて、このツアーを楽しみにしていた。

 

ヘレン・シャピロ
「Beatlemania!」マーティン・クリージー

  
そのツアーに参加するミュージシャンのほとんどはロンドンのオールソップ・プレイス (Allsop Place) のバスターミナルから出発し、ヨークシャーまではるばる旅していった。その日のヨークシャー地方の最高気温は-1℃で、雪と氷がその旅を危険なものにした。

一方ビートルズは、前夜にタムワース (Tamworth) とサットン・コールドフィールド (Sutton Coldfield) での公演を終えた後、ニール・アスピノール (Neil Aspinall) のコマー・ヴァン (Commer van) でブラッドフォードに移動した。

このツアーでは毎晩6:15pmからと8:30pmからの2回のショーが開催された。ゴーモン・シネマは3,318人が収容できるが、1回目のショーでは多くの空席が目立った。

このショーはザ・レッド・プライス・バンド (The Red Price Band) からスタートし、次にザ・ハニー (The Honey) が出演する。それから司会のデイヴ・アレン (Dave Allen) がビートルズを紹介し、ダニー・ウィリアムス (Danny Williams) が前半を締めくくる。インターバルの後、ザ・レッド・プライス・コンボが再び登場し、それにザ・ケストレルズ (The Kestrels)、ケニー・リンチ (Kenny Lynch) と続き、最後にヘレン・シャピロが登場する。
  

  
ビートルズはツアー初日のこの夜、6曲を演奏した。

『Love Me Do』
『Beautiful Dreamer』
『Chains』
『Keep Your Hands Off My Baby』
『A Taste Of Honey』
『Please Please Me』

またこのツアーの他の日には『Long Tall Sally』を演奏することもあった。
  

ヘレンは1階のメインスター用の楽屋にいたが、ビートルズがあの夜いた小さな部屋に行くには階段を昇らなければならなかった。猫が入る隙間もなかったほどに狭かった。僕の記憶では僕らは全員立っていた。彼らは小さなミラーによってようやく支えられていた。2人が片側に立ち、もう2人は反対側に立って、そのうしろにブライアンが立っていた。その部屋には僕らだけだったんだけどね。

僕らはごく普通の会話をした。彼らのレコーディングの予定とか、全国ツアーのスポットライトの感想とかそんな話だ。彼らはとても友好的でユーモアもあった。でも少しも人を馬鹿にするようなところはなく、とても誠実だった。

 

ゴードン・サンプソン (NME) 
「Beatlemania!」マーティン・クリージー

  
スタン・リチャードソン (Stan Richardson) はフリーのカメラマンで、彼はメロディ・メーカー紙 (Melody Maker) のために、レポーターと一緒にこのツアーを取材しに来ていた。ブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) は、彼にビートルズの写真を撮ってくれるよう依頼する。バンドは代金を払わないことが時々あるからと彼は最初拒んだが、彼らは説得して写真を撮らせた。彼はショーの途中で家に帰って現像し、20×16インチのプリントに仕上げてビートルズのサイン用に持ってきた。
  

その写真はロビーで撮った。僕らはヘレンの写真とインタビューが欲しかったんだが、彼女は拒んだ。それからこのリヴァプールの連中が「僕らの写真を撮ってくれないかな」と鳴きだした。白いスーツとピンクのカーネーションを付けた親分 [エプスタイン] がそこにいて「いいじゃないか、ねえ。彼らの写真を撮ってくれよ」と言った。

僕は家に帰って現像し、2回目のショーの終りに会場へ戻った。エプスタインは腕を僕にからみ付けて言った「ねえお願いだから、彼らの写真をフルセットで撮ってくれない。」僕はそれは断った。気違いじみた話だ。僕は以前ポップスターの写真を撮ったことがあるけれど、ほとんど払ってもらえないんだ。唯一払ってもらえたのはルル (Lulu) の写真を撮った時だけだった。彼女の周りの人々は直ちに払ってくれた。

 

スタン・リチャードソン
「Beatlemania!」マーティン・クリージー

  
またこの日『Please Please Me』のシングル盤が、ミュージック・ウィーク誌 (Music Week) のチャートで16位にランクインしている。
  

ブライアン・エプスタインは僕らをスーツやら何やらで包んだ。そして僕らはそれをふくらませた。僕らは売り尽くした。僕らが英国の劇場ツアーを始めた時、もう音楽は死んでいたんだ。すでに僕らは「ちくしょう」と感じていた。なぜなら1~2時間の演奏を20分に減らさなければならなかったからだ。それはある意味では嬉しかったけど、その同じ20分を毎日毎日繰り返す。演奏家としてのビートルズの音楽はその時に終わった。それが僕らが演奏家として成長しなかった理由だ。僕らは自分たちを作ろうとして、あの頃自分たちを殺したんだ。そしてあれがその最後だった。ジョージと僕は特にそう思っている。僕らはいつもクラブの時代を恋しく思っている。なぜならそれが僕らが音楽を演ってた時だからだ。

 

ジョン・レノン
「Lennon Remembers」ジャン・S・ウェナー

  

  

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