1963年 (昭和38年) 1月21日 月曜 前の記事 目次 次の記事
 ラジオ出演:『The Friday Spectacular』/ロンドン

  
この日ビートルズはEMIの宣伝番組『フライデー・スペクタキュラー (The Friday Spectacular)』に出演するため、ロンドンのマンチェスター・スクウェア (Manchester Squre) 20番にあるEMIハウス (EMI House) を訪れた。同番組への出演は1962年10月8日11月16日に続いて3度目となる。

彼らは番組司会のショー・テイラー (Shaw Taylor)/ミュリエル・ヤング (Muriel Young) と会話した。またスタジオ録音の『Please Please Me』と『Ask Me Why』が再生された。このショーは約100人のティーンエージャーを前にして収録され、1月25日にラジオ・ルクセンブルグ (Radio Luxembourg) でオンエアされた。
  

私はビートルズにはその資格があると信じてきたが、彼らが最高の国家的名声を味わおうとしていると確信したのは、EMIがラジオ・ルクセンブルグで放送する『Friday Spectacular』を収録している時だった。ティーンエージャーの観客はその日の出演者が誰なのかを事前には知らなかった。そしてミュリエル・ヤングがビートルズを紹介する前に、彼女は彼ら一人一人の名前を読み上げた。「John...Paul...」 彼女の紹介の続きは偽りのない喝采の嵐に飲み込まれた。

 

トニー・バロー
『Please Please Me』LPのスリーブ・ノート

  
ビートルズを乗せたヴァンをリヴァプールからロンドンまで夜通しで運転したのは、マル・エヴァンス (Mal Evans) であった。風邪で具合の悪いニール・アスピノール (Neil Aspinall) に代わって運転手を引き受けた彼は、そのために仕事を2日休んだ。
  

10:45pm頃にジョージを拾って、それからジョン、ポール、リンゴを拾った。ジョージはウィッチチャーチ (Whitchurch) で夕食をご馳走してくれた。そこからM1道まで20マイルを運転した。もう少しヴァンのヘッドライトが良ければなあと思った他には問題なかった。それからこれ以上すばらしい同伴は無いと思った。初めての同伴なのに、家族と一緒にいるかように彼らは感じさせてくれた。時速70~75マイルを維持してM1道を上り、フィンチリー (Finchley) を経由してロンドンに入った。彼らはそこからの道は知っていたみたいだ。そしてEMIハウスに入った。そこで僕らはケニー・リンチ (Kenny Lynch) やジェス・コンラッド (Jess Conrad) やキャロル・ディーン (Carol Deene) に会った。みんないい人だった。

 

マル・エヴァンス
Mal's Diaries

  

  

  

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ライヴ演奏
キャバーン・クラブ (夜)
ラジオ出演
『Pop Inn』