1963年 (昭和38年) 1月20日 日曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 |
ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜)/リヴァプール |
これはビートルズの272回目のキャバーン・クラブ
(Cavern Club)
への出演で、イブニングショー出演は120回目だった。
この日はビートルズの他に、ピート・ハーティガンズ・ジャズメン (Pete Hartigan's Jazzmen)、ザ・デニソンズ (The Dennisons)、ザ・マージービーツ (The Merseybeats)、ザ・スウィンギング・ブルー・ジーンズ (The Swinging Blue Jeans) が出演している。
ビートルズのローディ (roadie)* ニール・アスピノール (Neil Aspinall) はまだ風邪が治らなかったが、熱っぽく感じながらもその仕事を務めていた。しかし翌日に予定されているロンドンでの仕事にビートルズを乗せて運転するのは無理だとブライアン・エプスタイン (Brian Epstein) に説明する。
*roadie: 楽器の手配、積み込み・積み卸し、輸送、セッティング、エフェクティングといったコンサート業務や、楽器のメンテナンスおよび管理、ミュージシャンに対するサポートなどの業務を行う人々のこと。
エプスタインは、キャバーン・クラブのドアマンをアルバイトでやっていたマル・エヴァンス
(Mal
Evans)に、階段の所でばったり出会う。そして彼にビートルズの乗る車をロンドンまで運転してくれないかと頼んでみると、彼はそれを引き受けた。ビートルズの最後の日まで共に働くパートナーシップがここに始まったのであった。
ある時ニールが病気で、僕らはロンドンまで運転する人間が必要だった。そこでマルに頼んだ。彼はいい奴で、僕らはこの頃までには彼とよく話すようになっていた。彼はそうするために2日間仕事を休まなければならなかった。それから僕らが演奏の仕事を拡大していくと、ニールは僕らの衣裳とか何かの身の回りの面倒を見なければならなかったので、別の運転手が必要だと感じ始めた。それは満場一致の意見だった。それでマルが仕事を辞めて僕らのために働いてくれることになった。 | |
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ジョージ・ハリスン |
ビートルズのキャバーン・クラブへの正確な出演回数は判っていないが、1961年2月9日から1963年8月3日までの期間に、少なくともランチタイムショーで155回、イブニングショーで125回の演奏を行っている。
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ライヴ演奏 タウン・ホール・ボールルーム |
ラジオ出演 『Friday Spectacular』 |