1962年 (昭和37年) 12月9日 日曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 |
ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜) ジョージ・マーティンがビートルズを見る |
いつものありふれたキャバーン (Cavern Club)
のイブニングショーであった。ただいつもと違っていたのは、観客の中にパーロフォン
(Parlophone) のプロデューサー、ジョージ・マーティン (George
Martin) がいたことである。
マーティンとアシスタントのジュディ・ロックハート・スミス (Judy Lockhart-Smith:後にマーティンの妻となる) はこの湿っぽい地下クラブには似つかわしくない観覧者であった。マーティンがここに現れた理由は、ビートルズが故郷の群衆を前にして行う演奏を録音し、そのライブ録音を彼らのデビューアルバムとしてリリースすることを思いついたからであった。
しかし結局彼はその思いつきとは異なる判断をし、アルバム『Please Please Me』をレコーディングして1953年のはじめにリリースする。ジョージ・マーティン (George Martin) の決断の鍵となったのは、このクラブの蒸し暑い環境がEMIの高価な装置に悪影響を与えることを恐れたためであった。
ビートルズの他にはザ・フォーモスト (The
Fourmost)、ザ・ブルー・ジーンズ (The Blue
Jeans)、ゼニス・シックス・ジャズ・バンド (Zenith Six Jazz
Band)
が出演している。マーティンはザ・フォーモストのコメディ演芸に興味を示したことがブライアン・エプスタイン
(Brian Epstein)
を促し、彼はザ・フォーモストに対してマネージメントの契約を提示している。
ジョージ・マーティンが、ロンドンに来てオーディションで演奏漫談をしてみないかと誘った時、僕らは吹き出しそうになったよ。あれは巧妙なもので僕らは自分たちの芸に満足していたが、ジョージ・マーティンは僕らが間違ったコードを演奏してると言ったね。 | |
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デイヴ・ラヴレイディ (The
Fourmost) |
これは彼らの117回目のイブニングショー出演であり、ランチタイムショーを含めると265回目のキャバーン・クラブへの出演だった。ビートルズのキャバーン・クラブへの正確な出演回数は判っていないが、1961年2月9日から1963年8月3日までの期間に、少なくともランチタイムショーで155回、イブニングショーで125回の演奏を行っている。
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