1962年 (昭和37年) 12月2日 日曜 前の記事 目次 次の記事
 ライヴ演奏:エンバシー・シネマ/ピーターバラ

  
ブライアン・エプスタイン (Brian Epstein)は、ノーザンプトンシャー・ピーターバラ (Peterborough, Northamptonshire) のエンバシー・シネマ (Embassy Cinema) で行われるフランク・アイフィールド (Frank Ifield) の2つのショーに、何とかビートルズを出演させることに成功した。ところが不幸にも彼らは観客にはウケなかった。

ビートルズはこのショーでは1番目の出演者だった。彼らよりウケが良かった他の出演者は、スーザン・コープ (Susan Cope)、トミー・ウォリス&ベリル (Tommy Wallis & Beryl)、ザ・ラナ・シスターズ (The Lana Sisters)、ザ・テッド・テイラー・フォー (The Ted Taylor Four)、そしてメインはフランク・アイフィールドで、司会はジョー・ブラック (Joe Black) だった。

ビートルズは1962年を通して、特にイングランドの北部では、着実にその名声を高めてきたが、この日の経験は、彼らの魔術が万人に効くわけではないことを彼らに教えた。

しかしこの日の経験は100%否定的なものばかりでもなかった。ビートルズは楽屋でザ・テッド・テイラー・フォーがパンケーキ (ファンデーションの商品名) で舞台化粧しているのを見つけ、そのリーダーから使い方を習った。
  

テッド・テイラーは初めて僕らにメーキャップの利用法を教えてくれた。僕らはあの年の終りにピーターバラのエンバシー・シネマでのフランク・アイフィールドのショーに出演した。僕らの名前は広告のずっと下の方で、ザ・テッド・テイラー・フォーより下だった。テッドはピアノの端におもしろいシンセを持っていて、それで『Sooty』のようなメロディを奏でた。彼はそれを『Telster』に使ってた、そのシンセサウンドに観客は興奮したもんさ。「君らはステージでの顔色がよくない。メーキャップした方がいいよ」と言ったのはそのテッドだった。僕らはどうやるのか尋ねた。彼は言った「ライナーの27番 (Leichner 27) のファンデーションというのがあって薬屋で売っている。手に少し取って顔に擦り込むんだ。それで日焼けした顔ができる。それから目と唇の縁に黒いラインを入れるんだ。」僕らは言った「それちょっとインチキ臭いね。」彼は言った「大丈夫、俺を信じろ。客にはわからないしきれいに見えるんだ。」

そのすぐ後にブラックプール公演のポスター用に写真を撮った。ぼくらの人気はかなり高まっていたようで、そのポスターは密売されていたんだ。それでポスター会社は公式のポスターを作るべきだと言った。それで4分割のやつを作ったんだ。それぞれのマス目に一人ずつ写ったやつだ。その写真では目の周りの黒ラインが見えるよ。あれは一生の不覚だったよ。

 

ポール・マッカートニー
アンソロジー

  
ビートルズはエンバシー・シネマに2回出演しているが、これが初回の出演だった。2回目は1963年3月17日のトミー・ロウ (Tommy Roe) / クリス・モンテス (Chris Montez) のツアーであった。   

  

  

前の記事 目次 次の記事
ライヴ演奏
タウン・ホール
TV出演
『Discs A Gogo』