1962年 (昭和37年) 10月7日 日曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 |
ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (夜)/リヴァプール |
これは彼らの107回目のイブニングショー出演であり、ランチタイムショーを含めると245回目のキャバーン・クラブへの出演だった。またこの夜は彼らのファースト・EMIシングル『Love
Me Do』の発売記念の催しでもあった。
他の出演者はザ・スウィンギング・ブルー・ジーンズ
(The Swinging Blue Genes)、ザ・レッド・リヴァー・ジャズメン
(The Red River Jazzmen)、イアン&ザ・ゾディアックス (Ian &
The Zodiacs) だった。
ビートルズが『Love Me Do』を演るのを聞いたのはあれが初めてだった。あれはロックンロールじゃなく、僕にはスキッフルっぽく聞こえた。EMIは初め、あの曲ではポールにウッドベースを弾くことを望み、ポールはレス・ブレイド (Les Braid) からそのことを言われた。ポールは「ウッドベースにはフレットがないのにどうやって弾けばいいんだ?」するとレスは左手でオクターブの出し方を示した。他の2人も群がってそれを見てたという。だから彼らはダブルベースでの録音もしていると僕は思うよ。リリースはされなかったけど。 | |
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レイ・エニス
(スウィンギング・ブルー・ジーンズ) |
スウィンギング・ブルー・ジーンズは最近ドイツからリヴァプールに戻ったばかりだった。ビートルズと同じように、ハンブルグに長期滞在して演奏の仕事をしていたのだった。彼らのジャズへの傾倒は、ロックンロールへの情熱に取って代わられ、ほとんど消滅していた。彼らは後に
The Swinging Blue Jeans へ名前の綴りを換える。
はじめ僕らのファンは唖然として、僕らの演ってることに納得がいかなかった。だけど僕らがリヴァプールを離れていたひと月で情勢はまったく変わってしまったんだ。キャバーンでのジャズはほとんど絶滅していたし、僕らもロックンロールを続けることを望んでいた。僕らのバンジョー奏者ポール・モス (Paul Moss) は辞めたが、彼は警察官になりたがってたので問題なかった。僕はレイ・マクフォール (Ray McFall:キャバーンのオーナー) がポールのセーターを着て、僕らとステージに上ったことを思い出すよ。 | |
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レイ・エニス
(スウィンギング・ブルー・ジーンズ) |
ビートルズのキャバーン・クラブへの正確な出演回数は判っていないが、1961年2月9日から1963年8月3日までの期間に、少なくともランチタイムショーで155回、イブニングショーで125回の演奏を行っている。
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