1962年 (昭和37年) 10月5日 金曜 前の記事 目次 次の記事
 ライヴ演奏:Co-op ホール/ヌニートン

  
ビートルズのEMIデビューシングル『Love Me Do』がリリースされたこの日、彼らはウォリックシャー (Warwickshire)・ヌニートン (Nuneaton) にあるCo-opホール (Co-operative Hall) の舞踏場で演奏した。

このショーは専属バンドのバディ・ブリテン&ザ・リージェンツ (Buddy Brittain & The Regents) がメイン出演者だった。他にも地元歌手のタンヤ・デイ&ザ・ヴァンパイヤーズ (Tanya Day & The Vampires)、それにとなり町のラグビー (Rugby) からザ・マイティ・アヴェンジャーズ (Mighty Avengers) というグループも出演している。
  

  
この日の早い時間、ビートルズが機材のセッティングを終えた後に、ビートルズとリージェンツのメンバーによる即興的なジャム・セッションが実現した。ピート・ミスト (Pete Mist) をベースとして、リンゴ・スターとリージェンツのドラマーのバーニー・ピーコックが隣り合って2つのドラムセットを叩き、ジョン・レノンはバディ・ブリテンと並んでギターを弾いた。
  

あの夜はサポートバンドとしてそこに出演した。メインのグループはすでに到着していて、茶色のベッドフォード・ドーモビール (Bedford Dormobile) タイプのヴァンが外に停めてあった。

僕らが機材を持って入って行くと、リンゴとバーニー・ピーコックがドラム、レノンとバディ・ブリテンがギター、ピート・ミストがベースでジャムセッションを演ってた。ジョージ・ハリスンは2回の楽屋でギブソンのでかいアコースティック・ギターを弾いていた。僕は後からピート・ミストに「あのバンドは誰だ?」と聞くと、彼は「ビートルズだ」と言った。

僕が「誰だって?」と言うと、ピートは「ハンブルグのスター・クラブ (Star-Club) で一緒に演ったことがある。彼らは僕が見た中で1番のR&Bバンドだった」と言った。これはピートの社交辞令だった。だってピート自身も長年のプロだし、当時僕の知る最高のバンドの1つであるバディ・ブリテン&ザ・リージェンツでプレーしていたんだから。彼らはダニー・ストーム&ザ・ストローラーズ (Danny Storm & The Strollers) と並んで、レッグ・カルバート (Reg Calvert) の専属バンドだったんだ。

ビートルズは『What'd I Say』『Money』、それから僕の聞いたことのない曲をヌニートンの観衆に贈った。もちろん彼らの新しいレコードになった曲も演った。

この時代はシャドーズ (The Shadows) の時代だったことを思い出すべきだ。当時ほとんどのグループはエコーユニットをいじるか、シャドーズの歩き方を真似てギターケーブルにつまずいて転んでたんだ。

ビートルズは違ってた。彼らはエキサイティングで、うるさくて (エコーは無し)、生々しかった。ルックスも良かった上にすばらしい声とハーモニーも持っていた。彼らは黒っぽいスーツを着ていたと思うけど、髪はまだビートルズカットにはなってなかった。

ピートと舞台脇に立って、ジョンが繊細なリッケンバッカーを弾きながら体を揺らす時、ピートが彼のつま先の跳ね上がったブーツを指さしたことが忘れられないよ。

彼らは本当にプロだった。あの頃でさえ観客へのお辞儀の仕方知っていて、僕らの多くはすごく新鮮に感じてた。僕らも後からリハーサルと演出についてたくさん学んだよ。翌朝、僕が大物になると賭けるといっておかしな名前のバンドのことをうわ言のようにしゃべってたと、僕の死んだ父はいつも言ってた。ただ僕はどれほどの大物かは知らなかったんだ。

 

トニー・キャンベル (ザ・マイティ・アヴェンジャーズ)
Coventry Telegraph (2012年)

  
このヌニートンのショーは、長い間あまり広く知られておらず、ビートルズ関連の書籍にもこれまで書かれたことがない。このショーの存在は地元作家のピート・チェインバーズ (Pete Chambers) が2006年に書いた『Sent To Coventry』という本によってようやく裏付けられた。

アール・デコ建築のCo-opホールはクイーンズ通り (Queen's Road) にあり、1960年代の初めには巡業バンドの人気の会場だったが、2008年の11月に取り壊されている。

  

  

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