1962年 (昭和37年) 2月24日 土曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 | |
ライヴ演奏:YMCA-ホイレイク/ウィラル |
これはホイレイクにあるYMCAへのビートルズの唯一の出演だった。
このショーはマネージャーのブライアン・エプスタインがブッキングしたものではなく、チャールズ・トランター (Charles Tranter) という熱烈で粘り強いクラブイベント主催者による企画だった。彼はある日、ピート・ベストの母モナが所有するカスバ・コーヒー・バー (Casbah Coffee Club) に現れ、1ステージで30ポンドという出演料をビートルズに提示する。
それは太っ腹なオファーであると同時に、ビートルズも断れなかった。以前にもトランターは1961年9月8日の出演を彼らに依頼していたが、すでにリヴァプールのセント・ジョンズ・ホール (St.John's Hall) でのショーがブッキングされていたため、断っていたという経緯があったのである。
タランターにとって、そしてもちろんビートルズにとっても悲しかったのは、YMCAの観客は彼らの演奏に対してあまり熱烈ではなかった。彼らの曲の合間の長ったらしい冗談に嫌気がさして、「帰れ!」コールのブーイングが起こり、これによってショーは途中で終了せざるを得なくなった。
このショーの中止の後、ビートルズはキャバーンのオールナイトショーに出演するため、リヴァプールに戻る。彼らの出演予定は0:00am以降であった。
このYMCAは元はホイレイク・インスティテュート (Hoylake Institute) と呼ばれ、ホイル通り (Hoyle Road) とマーケット通り (Market Street) が交差するコーナーにあった。しかし後に取り壊されて、高齢者用のアパートが建設されている。
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ライヴ演奏 テクニカル・カレッジ・ホール |
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