1961年 (昭和36年) 3月21日 火曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 | |
ライヴ演奏:キャバーン・クラブ (初夜) /リヴァプール |
ビートルズはこの日、初めてキャバーン・クラブ
(Cavern Club)
の夜のステージに出演した。彼らの過去11回のキャバーン出演はすべてランチタイムショーだった。
キャバーン・クラブ
(Cavern Club) には、リヴァプールの中心部マシュー通り
(Mathew Street) 10番にある。
彼らは古くはクオリーメン (Quarrymen)
の時代に何回か出演したことがあった。しかしこの日、キャバーン・クラブのメインであるイブニングステージに、ビートルズ
(The Beatles) として初めて出演することになった。
ボブ・ウーラー
(Bob Wooler)
は私にビートルズのことを言ってきたが、それ以前にピート・ベストの母のモーから彼らの話を聞いていた。ある時彼女が電話してきて「息子がすばらしいグループに入ってるんだけど、あの子たちホントにいいのよ、あなたの店に出してみたら。」私は「わかった、考えてみるよ」と答えた。音楽のことはボブがエキスパートだったので、私は彼を信頼して出演者のことは任せていた。彼はビートルズがハンブルグから帰国して、リザーランド・タウン・ホール
(Litherland Town Hall)
でやったショーを見たことを語り、そして「彼らは獲るべきだ」と言った。
リザーランド・タウン・ホールを経営していたブライアン・ケリー (Brian Kelly) は、彼が主催するすべてのショーにビートルズを出演させていたが、それはすべて水曜だった。だから水曜は無理だった。私の方は木曜にはモダンジャズ、週末にはトラッドジャズの演奏が組まれていた。だから私は彼らの出演を火曜に組み入れたんだ。その夜はレギュラー出演者のブルー・ジーンズ (Blue Genes) がゲストを招くというショーだった。彼らはまとまりの良いクリーンなビートの、あまりうるさくワイルドでないグループを望んでいて、具体的に幾つかのグループを私に推薦していた。 ショーの後、ブルー・ジーンズの3人が私をつかんでマシュー通りに引っぱっていった。彼らはとても怒っていた。彼らが思うところでは、ビートルズには音楽の才能がなく、クリーンさもフレッシュさもまとまりもないと言う。私は言った「でも今日のように満席になれば、ブルー・ジーンズを見る人々の数も増えるんだよ。」 |
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レイ・マクフォール (キャバーン2代目オーナー)「The Cavern」スペンサー・レイ |
ビートルズのキャバーン・クラブへの正確な出演回数は判っていない。しかし1961年2月9日から1963年8月3日までの期間に、少なくともランチタイムショーで155回、イブニングショーで125回の演奏を行っている。
ビートルズを見たのはこの時が初めてだった。彼らは黒のレザースーツに身を包んで、汗が滴り落ちていた。彼らは聞いたことのない曲を演奏して、どこからあんなのを仕入れてきただろうと僕は思った。彼らはすごく奇抜な「ベサメ・ムーチョ (Besame Mucho)」をやった。それは僕が今までステージで聞いた中では最高のものだった。 | |
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ジョーイ・バウアー
(The four Jays) |
ビートルズはこの時、ゲストバンドとしてブルー・ジーンズ
(The Blue Genes)
をサポートした。彼らは後にスインギング・ブルー・ジーンズ
(The Swinging Blue Jeans) と名を改める。
レイ・マクフォールは僕たちのゲストにビートルズをブッキングした。僕らにはそのことは知らされてなかったし、その時の彼らのプレーはひどかった。ビートルズファンは早くからクラブにやって来て前列の席に陣取り、僕らのファンを圧倒した。ビートルズファンは僕たちを見て「これ何なの?」という風だった。彼らの目当てはビートルズだけだったんだ。 | |
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レイ・エニス
(The Swinging Blue Jeans) |
ブルー・ジーンズはジャズの影響を受けたスキッフル・グループとしてスタートしている。彼らもビートルズと同様、60年代の初めにハンブルグで演奏していて、その地で彼らのサウンドはロックンロールの影響をより強く受けたものに変わっている。彼らは音楽をまじめに考えていたため、しばしば乱雑で無秩序とも思えるビートルズに、観客が与える反応は彼らを途方に暮れさせた。
彼らの歌はとても乱雑で、ギターは音を外していた。僕らはちゃんとした音を出すために入念なリハーサルをしたが、ビートルズがたった5分のリハーサルで、十分にいい本番プレーをするのを見た時は、あまり愉快ではなかった。 | |
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ラルフ・エリス (The Swinging Blue Jeans) |
1963年の12月にスインギング・ブルー・ジーンズはチャン・ロミオ
(Chan Romeo)
の1959年のヒット「ヒッピー・ヒッピー・シェイク (Hippy
Hippy
Shake)」をカバーしてレコードリリースしている。それはリヴァプールでは好んでカバーされる定番ソングだったが、同地域で最も早くこの曲をカバーして演奏したグループの一つはビートルズだった。
僕はポール・マッカートニーと僕の集めたアメリカのレコードについて話していた。そして彼はチャン・ロミオ の「ヒッピー・ヒッピー・シェイク」を借りていったんだ。驚いたことに、ビートルズが初めてキャバーンのイブニングショーに出演した時、彼らはその曲をやったんだよ。 | |
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ボブ・ウーラー
(キャバーン・クラブのDJ) |
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ライヴ演奏 モスウェイ・ホール |
移動 リヴァプールからハンブルグ |