1960年 (昭和35年) 5月20日 金曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 | |
ライヴ演奏:タウン・ホール/アロア |
歌手ジョニー・ジェントル (Johnny Gentle)
のバックバンドをつとめるシルバー・ビートルズ (The Silver
Beetles)
の7日間のスコットランドツアーは、クラックマナンシャー・アロア
(Alloa, Clackmannanshire) のタウンホール (Town Hall)
でスタートした。
このツアーでのシルバー・ビートルズのメンバーは、ジョンとポールとジョージがギター、スチュアートがベース、それにドラマーのトミー・ムーア (Tommy Moore) の5人だった。
このツアーはロンドンをベースとするプロモーター、ラリー・パーンズ
(Larry Parnes)
により企画された。これに先立って1960年5月10日にリヴァプールでバックバンドのオーディションが行われ、シルバー・ビートルズが選ばれたのであった。ラリー・パーンズは業界内では「パーンズ、シリングス・アンド・ペンス
(Parnes, Shillings and Pence)」で知られている。
このツアーではシルバー・ビートルズの名は広告に使われず、ポスターには「ジョニー・ジェントルと彼のグループ
(Johnny Gentle and his
group)」と記載された。しかし彼らは各自のステージ・ネームを付けようと決めたのだった。
今や僕らは本当のプロになった。だから長い間遊び半分で考えてたことを本気でやれる。それは各自の名前を芸名っぽく替えることだった。僕は『ポール・ラモーン
(Paul
Ramon)』になった。異国風でふさわしいと思ったんだ。スコットランドの女の子が「あれは彼の本当の名前?すてきね。」と言ったのを覚えてるよ。これはフランス語だよ。スチュアートは『スチュアート・デ・スタール
(Stuart de
Staël)』画家の名前からだ。ジョージは『カール・ハリスン
(Carl
Harrison)』で、これは僕らのアイドルでブルー・スウェード・シューズ
(Blue Suede Shoes)を書いたカール・パーキンス (Carl Parkins)
からとった。ジョンは『ロング・ジョン (Long
John)』だった。それ以来みんな「ああ、ジョンは名前を変えなかった。奥ゆかしいな。」って言ってたけど、言わせてくれ。彼は『ロング・ジョン』だった。彼だけ名前を替えなかったってことはないんだ。僕らは全員名前を替えたんだ。
僕がGCE試験*を受けているはずの時に、僕らはいきなりラリー最初の過激じゃない名前のタレントとスコットランドにいた。僕の両親の希望は絶望に変わろうとしていた。なぜなら僕はGCEなんてまったく眼中にない悪ガキたちとそんな所にいたわけだから。 *イギリスにおける中等教育最終段階の国家統一試験。 |
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ポール・マッカートニー |
- It Doesn't Matter Anymore/Buddy Holly
- Raining In My Heart/Buddy Holly
- I Need Your Love Tonight/Elvis Presley
- Poor Little Fool/Ricky Nelson
- I Don't Know Why I Love You But I do
/Clarence Frogman Henry - Come On EveryBody/Eddie Cochran
- He'll Have to Go/Jim Reeves
ジョニー・ジェントルはこのアロアのステージに立つ30分前に初めてシルバー・ビートルズに会い、リハーサルの時間は20分しかなかった。ジェントルはジョンとポールが着ていたものにマッチするようにと、黒いシャツをジョージにあげた。この最初の夜のパフォーマンスは多少ガタガタしたが、続く6日間には改善していった。
このツアーでスコットランドの北東海岸以外の会場はこの日だけで、他は全部ハイランド地方 (Highlands) の海岸沿いであった。
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