1961年 (昭和36年) 12月09日 土曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 | |
ライヴ演奏:パレイ・ボールルーム/アルダーショット |
これはビートルズが南イングランドで行った最初のショーであった。会場はハンプシャー州アルダーショット
(Aldershot, Hampshire) のパレイ・ボールルーム (Palais Ballroom)
であった。
このパレイ・ボールルームでのイベントは、すでにマージーサイド地区 (Merseyside) では数多くビートルズのショーを成功させているサム・リーチ (Sam Leach) の企画だった。
彼の考えは、レコード会社の幹部やA&R* の人間がビートルズを見にリヴァプールに来ようとしないので、彼らを連れてこっちの方から南東部に乗り込んでやろうという、ややシンプルで楽観的なものだった。
*レコード会社における職務の一つ。Artist and Repertoire(アーティスト・アンド・レパートリー)の略。アーティストの発掘・契約・育成とそのアーティストに合った楽曲の発掘・契約・制作を担当する。
しかしながらリーチの善意も、彼の地勢的な知識の欠如により惨憺たる結果となる。彼はビートルズをグレーター・ロンドン地区でプロモーションするのではなく、パレイ・ボールルームでのショーに彼らをブッキングした。それも5週連続の土曜の夜にであった。アルダーショットはロンドンから37マイルも離れた軍事都市であり、しかもパレイ・ボールルームは地元住民のボブ・ポッター (Bob Potter) による個人運営のホールであった。
この夜のショーのポスターやビラには『リヴァプール vs ロンドン バンド対決』と銘打たれ、出演者はビートルズとアイヴァー・ジェイ&ザ・ジェイウォーカーズ (Ivor Jay & The Jaywalkers)、それに名前は記されなかったが「さらに2つのスターグループ」と書かれた。
リーチはまたアルダーショット・ニュース (Aldershot News) という新聞に、かなり大きなサイズの広告を載せたつもりでいた。ところが広告料としてリーチが送った100ポンドの小切手は、新規の顧客は現金払いに限るという社内規定により、新聞社はその小切手を現金化することができなかった。さらにリーチは自分への連絡方法について何も知らせていなかったため、新聞社は支払いについての規定を彼に説明することもできなかったのである。こうして遂にその広告はなされずに終わった。
その結果としてビートルズは、ほとんど空の会場で演奏するはめとなる。リヴァプールから9時間の移動に耐えてはるばるやって来て、いざステージに上ろうという時に、彼らは町の喫茶店に行って彼らのショーの入場券を無料で配って歩いた。にもかかわらず会場に現れた観客はたったの18人であった。さらには出演者のアイヴァー・ジェイ&ザ・ジェイウォーカーズも現れないという、泣きっ面に蜂となった。
1曲を半分くらい演奏したところで、ジョージとポールは上着を着てフロアに降りて行き、フォックストロット (foxtrot) を一緒に踊り始めた。残りの2人は、彼らとわずかな見物人のために必死でバック・ミュージックを取り繕ったよ。ショーの後半は僕らは道化師に徹した。ジョンとポールはわざと音やコードを間違え、オリジナルの歌詞には無い言葉を加えて歌っていた。 | |
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ピート・ベスト |
レコード会社のA&Rの人間に出席を呼びかけていたサム・リーチは意気消沈した。彼はアルダーショットの仕事のために派手な車をまる一月借りきり、リヴァプールとアルダーショット間の自分の往復のために、デイヴ・ジョンストン
(Dave Johnstone)
というおかかえ運転手をも雇っていた。一方ビートルズは、リーチの友人テリー・マッキャン
(Terry McCann)
が運転するヴァンでそのイベント会場に移動した。
僕らはとても早く出発した。サムはデイヴの車で、僕はビートルズとヴァンに乗った。ジョンはもちろん前の席に乗ったが、ピートとポールも前に乗ったのでギューギュー詰めで僕は運転できなかった。だから誰かがジョージとうしろの席に行かなければならなかった。結局うしろに行ったのはポールだったと思う。
当時は高速道路は無かったので僕はA1道をロンドンに向かった。途中スタッフォード州のカフェで休憩したんだが、その入口でのすれ違いに僕らに眼を付けてきた連中がいたのを覚えている。ビートルズの古びた黒革の服装を見ればある意味当然で、僕は彼らを責められないね。金を払ってその店を出る時、誰かが「ここにビートルズがいる」と引っ掻いてあった。 アルダーショットには夕方5時~6時頃に着いて、会場を見つけたが鍵がかかっていて、解錠されるのを待たなければならなかった。だから僕らは腹ごしらえに行った。サムは外に出て、僕が数日前に貼り付けたポスターが引き裂かれているのを見つけた。それから新聞に広告が載ってないことにも気付いた。誰かがキャンセルしたのかなと僕は思ったよ。それは一つのトリックで、当時よくやってた手法だったんだ。 気にせず会場に入り、荷物を降ろして、彼らをアンプをセットアップして、観客が群れてやって来るのを待った ... 辛抱強く待った ... が誰も来ない。サムのとっさの対応は道路の向かいのパブに飛び込んで、そこの客をこっちに引っぱってくるというものだった。彼はビールを会場に運び込んだ。それが写真に写っているだろ。また彼は通りがかった人を、誰かれ構わず呼び止めてはショーのことを宣伝した。彼らは一応入って来たが、ちらっと見てはつまんないと言って、どこかに消えていった。 ビートルズはさすがにうんざりの様子だったが、演奏は続けた。彼らのいつものナンバーをやってたはずだ。チャック・ベリー (Chuck Berry)、ジェリー・リー・ルイス (Jerry Lee Lewis)、エディ・コクラン (Eddie Cochran) なんかだ。ジョージはチャック・ベリーの曲のイントロを全部知ってたので、それは十八番芸だった。ポールはたぶん「Till There Was You」を歌ったと思う。他のみんなは嫌ってたが、ポールはそれだけは譲らなかったんだ。 僕は観客が興味を感じていないことに驚きはしなかった。特に僕がドラムを叩いた15分位の間はね。ピートはある時点で嫌になって、代わりに僕がステージに上って数曲を演奏したんだ。それは以前にもやったことがあった。僕はリズムをキープすることはできたけど、けっして良い物じゃなかったよ。 あの夜はこんな感じだったのさ。ビートルズは何もかもに失望して、ステージに上ったり下りたりしてた。それでジョージがフロアでワルツを踊って、ジョンがビールを飲んでいる写真が残っているというわけだ。 ディック・マシューズ (Dick Matthews:マージー・ビート誌のカメラマン) はその間ずっと撮影し続けていたはずだ。それが彼の仕事だったからね。ジョージがポーズを取っている写真には、彼の靴に開いた穴がはっきり写っていた。でも掲載される時にはその部分はトリミングされていたよ。 たった4人が踊り、他の6人は部屋の縁に立ってつまらなそうな顔をしているという状況が、ビートルズにとってどんなものだったか想像できるだろ。かれらはベストを尽くしたが、報われなかった。彼らは9:30pm頃に荷物をまとめた。それからサムはビールとビンゴボールをフロアに投げ散らし始めた。まさに「リヴァプール vs アルダーショット」だった。 |
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テリー・マッキャン |
地元では満席の会場でプレーすることに慣れていたビートルズだが、この時はまばらな観衆を前にしての演奏だった。サム・リーチは広いフロアを埋めるために「もっと散って下さい!
広がってください!」と、踊っている人々に言って回った。
残念ながら彼らのダンスは死人のシャッフルみたいだった。また僕はレコード・プレーヤーを入手できなかった。だからビートルズの休憩はたった15分に切り詰めざるを得なかった。 | |
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サム・リーチ |
リーチの友人のリチャード・マシューズ (Richard Matthews)
が撮影したこのイベントの写真では、ビートルズの演奏中の顔は幾分むっつりしているように見える。ショーの終了後、彼らはワットニーのブラウン・エール
(Watney's Brown Ale)
を飲み、ダンスフロアでビンゴボールのフットボールをして、自らを慰める。そしてその会場で狂わんばかりに騒ぎまくった。
付近の住民は警察に通報し、彼らが1:00amにボールルームから外に出てみると、3台のパトカーと4台の警察のヴァンが待機していた。彼らは町から出て、戻ってこないように言われる。
そのわずかの観客は興奮を味わい、次の週も仲間を連れてやって来ると約束してくれた。当時若者だった彼らが、ビートルズがアルダーショットに現れて、ほとんど誰も彼らを見に集まらなかった事実を、今どんな風に語るのだろうと思うことが時々ある。僕にはこう聞こえてくる「ああ、僕らはそこにいたんだ。たった18人でビートルズのステージを見たんだ。彼らは1曲アンコールにも答えてくれたんだ。」 | |
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サム・リーチ |
どこに行くあてもないので彼らは車でロンドンに向かい、ソーホー区
(Soho) のブルー・ガーディーニャ・クラブ
(Blue Gardenia Club) 行き、そこで即興的な演奏を行った。それはすでに12月10日の早朝である。そのクラブは、カス&ザ・カサノバス
(Cass & The Cassanovas)
の前のシンガー、ブライアン・カッサー (Brian Cassar)
が経営していた。
翌週の土曜日 (12月16日)、リーチによる5週連続の企画の第2弾として、ロリー・ストーム&ザ・ハリーケーンズ (Rory Storm & The Hurricanes) がパレイ・ボールルームで演奏する。この時はアルダーショット・ニューズ紙は広告を掲載し、210人の観客を集めた。しかしリーチはあまりにも多くのトラブルに、残り3回のショーをキャンセルすることを決めた。
上からディック・マシューズ、 |
パレイ・ボールルームはアルダーショットのクイーンズ通り (Queen's Street) とペローン通り (Perowne Street) の角にあった。後に焼失して新たな建物が建てられている。
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ライヴ演奏 タワー・ボールルーム |
ライブ演奏 ブルー・ガーディーニャ・クラブ |