1961年 (昭和36年) 3月15日 水曜 | 前の記事 | 目次 | 次の記事 | |
スチュアート、ハンブルグへ渡航 |
スチュアート・サトクリフ (Stuart Sutcliffe)
はこの日、婚約者のアストリッド・キルヒャー (Astrid
Kirchherr)
と過ごすため、他のメンバーを残し一人ハンブルグに飛ぶ。
現地の2人は、ビートルズがハンブルグに戻って演奏の仕事が出来るように、いくつかの行政的な手続きを片付けた。
ビートルズの前回のドイツ滞在は法律上の問題を抱えていた。まず全員が労働許可を持っていなかった。それはしばらくは発覚しなかったが、18歳未満だったジョージの深夜労働を、雇い主のブルーノ・コシュミダー (Bruno Koschmider) が告発し、ジョージは国外退去を命じられる。次にポールとピートが放火未遂の容疑 (これもコシュミダーの告発による) で英国へ強制送還された。こうなれば労働許可を持たないジョンとスチュアートが、国外退去を命じられるのも時間の問題だった。 |
1961年3月27日にビートルズ2度目のハンブルグ行きが予定されていた。スチュアートとアストリッドはそのための準備をしたのであった。ハンブルグのトップ・テン・クラブ (Top Ten Club) における連続92日の演奏は1961年4月1日から始まる。
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ライヴ演奏 リバプール・ジャズ・ソサイエティ |
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