フトマニ

→ 語義
  

太兆。太占。
フトマニとは「すべてを映すもの」という意味で、本来はサコクシロに坐す元明けの四十九神(四十八音)を指す。日本語の「四十八音」は別名を「アワノカミ(陽陰の神)」ともいう。よってフトマニは万象の根源である「陽陰」、また「言葉・言霊・語呂」と同義と見て良いと思われる。

アマテル神は八百万守に御言宣して、このフトマニをモトウラ(基)とする歌を詠ませ、自らが編者となって添削し、百二十八歌を選んで占いの根本とする。これを「モトラツタエの文 (基伝えの文)」という。それ以後は「モトラツタエの文」を指してもっぱらフトマニと言うようになったようだ。

「モトラツタエの文」の百二十八歌は、『ア・イ・フ・ヘ・モ・ヲ・ス・シ』の八種と『ヤマ・ハラ・キニ・チリ・ヌウ・ムク・エテ・セネ・コケ・オレ・ヨロ・ソノ・ユン・ツル・ヰサ・ナワ』の十六種の組み合わせからなる。
「アヤマ」「アハラ」・・・ ・・・ ・・・「シヰサ」「シナワ」の128の組合せの各々に一つの歌が当てられている。
占おうとする者は、128種の組合せの内のから一つ、あるいは複数を選ぶわけだが、どのようなルールでそれを選ぶのかについては触れられていない。
  

→ フトマニ図
  


■大変に興味深いのは、古今和歌集の序で歌の種を説明する六つの例歌のうち、四歌はフトマニ中の歌に非常に近似している点である。しかも四つともフトマニの「*ヤマ」の歌に当る。

『咲く花に 思ひつく身の あぢきなさ 身にいたつきの いるも知らずて』 → フトマニ33 フヤマ
『我が恋は よむとも盡きじ 荒磯海の 浜の真砂は よみ盡くすとも』 → フトマニ65 モヤマ
『いつわりの 無き世なりせば いかばかり 人の言の葉 嬉しからまし』 → フトマニ81 ヲヤマ
『この殿は むべも富けり 三枝(さきくさ)の 三葉四葉に 殿造りせり』 → フトマニ97 スヤマ

この古今集の例歌の起源・素性について何かご存知の方が居られましたら、何卒お知らせ下さいませ

  


ある形 に告ぐれば フトマニを 味はえ曰く "五・四の歌 言を結ばず 言挙げも 女は先き立てず"』3文
枝 しぼみて フトマニの "シチリ" は家漏り 激しくて 西北隅の国 見せしむる』10文
ホノアカリ マウラを召して 占問えば マウラ フトマニ "アキニ" 採る』20文
『"フトマニに 宮造り法 定めよ" と オオモノヌシに 御言宣 モノヌシ受けて 法定む』21文
フトマニ見れば 方を知る ツウジヨコベを 遣わして 民を乱らば その司 改め替えて 枯れを融く 故 "枯生" 成る』21文
フトマニの "アコケ" は仕業 ウツヲ神 時 御言宣 ウツヲ神 社 閉ざして 陽陰に告ぐ』21文
『時にオシクモ "名宛無し" コヤネ フトマニ 占えば "ヤセ姫 良けん"』27文
フトマニ見れば "斎むの身"は 「鏡老なる 名が一人 憂い有り とて  これ纏り 受けぬ憂い」と 驚きて』
28文
"栄えん" と 楽しみて イキシコヲして 占わす これまこと吉し 他守を 問えばフトマニ 占悪ろし』33文
城原に返り フトマニ見 ヤタ禰疑野に 討ち破り』38文

『このフトマニの 四十九枝は 元々明けの サコクシロ アメノミヲヤに よる形』フ序
『傍にトホカミ ヱヒタメの 八神は人の 霊の結を 膨み振らせて 永らえを 結び和せば』フ序
アイフヘモ オスシの神は キツヲサネ 五臓六腑を調えり 三十二の神は 見め・形 日夜の随に 守らせば』フ序
『このフトマニを と 万葉の味を 考なえて 試み詠めと 詠ましめて』フ序
『神は領長 添え削り 百二十八歌 選り給ふ 基伝えの 文ぞ尊き』フ序

  

  

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