1959年 (昭和34年) 1月1日 木曜   前の記事 目次 次の記事
 ライヴ演奏:ウィルソンホール/リヴァプール

  
この日はクオリーメン (Quarrymen) のウィルソン・ホール (Wilson Hall) への最後の出演として知られている。今回は過去3回の出演とは異なり、チャーリー・マック (Charlie McBain) による興行ではない。また不良の集団 (Teddy boys) がトラブルを起こすこともなかった。

このイベントは「スピーク地区バス車庫社交クラブ (Speke Bus Depot Social Club)」の遅いクリスマスパーティーであった。ジョージ・ハリスン (George Harrison) の父ハロルド (Harold) がこの社交クラブの議長だったことが、クオリーメンの採用に貢献している。兄のハリー (Harry) もまたこの社交クラブのメンバーであり、さらに母のルィーズ (Louise) もこの会場で初心者のための社交ダンス教室を開いていた。

ドラマーのコリン・ハントン (Colin Hanton) はこのイベントを最後にクオリーメンを去ることになった。2セットの演奏の幕間にメンバーはパーティードリンクを飲んだ。これは地元の映画館のマネージャーが来ていて、彼らと将来の契約を考えているという知らせに、心を踊らせたからに違いない。
  

その夜、最初は本当にうまくいってたんだ。僕らはみんないいムードで、「ジョージの父ちゃんがいるぞ!でもバスはどこなんだ!?」なんて言ってジョージをからかってた。それはジョージの家族がお膳立てして僕らを乗せてくれた、ちゃんと幕が昇降する本当の舞台だったんだ。そして幕が上がり、第一幕では6曲演奏した。5曲じゃないよ。バスの運転手や女車掌たちはみんな僕らを気に入って喝采してくれた。

幕間に僕らは言われた、「あっちのカウンターに君たちへの1杯も用意してあるよ。」1杯は2杯となり3杯となった。僕らが第二幕の舞台に上がった時はやばかった。みんな酔っぱらってた。映画館の人は僕らと契約しなかった。そのことで帰りのバスの中でけんかになった。「わかった。もういいや。もうこいつらとは二度とプレーするもんか!」と僕は思った。

 

コリン・ハントン
「Shout!」フィリップ・ノーマン

  
ハントンは彼のドラムセットをバスからおろした。そこは彼の降りるべきバス停ではなかったが。そして二度とクオリーメンでプレーすることはなかった。

  

  

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ライヴ演奏
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